学習に関して
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 09:07 UTC 版)
ロジバンの習得は、或る面において易しく、また或る面において難しい。 文法がきわめて整っており、知識を一貫して摘みとることができる。しかし上級者向けの文法原理には自然言語の知的枠組を超えているものがあり、その会得には相応の専心が要される。[独自研究?] selbri (述語)として使える言葉の全てが、どのような terbri (項)をどのような位置関係で取り結ぶかについてあらかじめ定義されている。いわゆる place structure / PS と呼ばれるこの定義の存在に当惑する初心者は少なくない。よくある誤解は、 PS が量的な暗記を要する、というもの。たとえば klama という言葉は、それと結びつく1番目の語が「行く者」、2番目が「行く地点」、3番目が「発つ地点」というふうな PS を有するが、その会得を量的な学習とみなしてしまうという思い違いがある。実際にはこれは量ではなく質の学習である。 PS によって示されている「行く者」「行く地点」「発つ地点」といった概念は、 klama がつかさどる「行く」という事象が必然的に内包するものである。「行く者」なしには「行く」という事象は成立しない。「行く地点」や「発つ地点」を欠いた場合も同様である。 klama という語およびそれによって取り結ばれる「行く者」などの項とそれらの位置関係は、「行く」という事象にたいする質的理解を深めるなかで捉えるものであって量的に暗記されるものではない。[独自研究?]問題は、事物の関係構造そのものを扱うこのロジバン語のパラダイムが特殊であること。伝統的な言語の多くは個体主義的で、その認識形式の影響下にある者は当然ロジバンの構造主義的な性格にたいする難しさを覚えることになる。[独自研究?] これまで解説文献やコミュニティの補助言語として英語・フランス語・スペイン語・ロシア語などが使われてきた。比較的外国語能力の乏しい日本人にとっては参入が難しく、日本語圏におけるロジバンの認知度はこれまで著しく低かった。[要出典]しかしロジバンと日本語との間にはそれなりの近似性があるように、日本人にとって特に難解な言語であるわけではない。[独自研究?]
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