存在の否定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 02:01 UTC 版)
オースティン・ファラー(Austin Farrer)、マイケル・グルダー(Michael Goulder)、マーク・グッドエーカー(Mark Goodacre)といった聖書学者たちはマルコ福音書が先に書かれたことを認めながら、Q資料の存在を否定し、 マタイがマルコを参照したことも否定する。他にもマタイ福音書が最初に書かれたという立場をとる学者たちはQ資料の存在を否定している。Q資料の存在を否定する立場の人々は次のような論拠を述べている。 マタイとルカはどちらも、マルコ福音書を元にして言い回しを変え、降誕物語や復活物語を加え、イエスの言葉を大量に加えている。これは偶然こうなったのではなく、お互いの存在を知っていたということであろう。 マタイとルカの両福音書が、共通してマルコ福音書の記事を収録している箇所で、マタイとルカの表現は一致するが、マルコとは微妙に異なる部分がある(フランス・ノイリンクの計算によれば、347箇所あり、これを「小一致」という)。この小一致の存在から、ルカとマタイが、マルコでもQ資料でもない共通資料を持っていたとも考えられる。そのような資料があったとすれば、Q資料の存在は必ずしも必要ではなくなってしまう。小一致の例をあげると、マルコの文章に単語を一つ付け加えた共通箇所は198箇所、二語加えたものは82箇所、三語は35箇所、四語は16箇所、五単語以上は16箇所である。 Q資料の存在を認める学者たちのあるものは20世紀に入って発見された『トマスによる福音書』のようなイエス語録こそが、Q資料の存在の可能性を証するものだと考えるが、マーク・グッドエーカーはルカとマタイから復元したQ資料は語録のみならず平叙文も含んでおり、単なるイエス語録とは考えにくいとしている。 Q資料そのものが発見されないことと、初代教会の著作者たちがQ資料と思われるものに関して一切言及していないこと。 聖書学者ウィリアム・ファーマー(William Farmer)などは最初にマタイ福音書が書かれ、次にルカ、マルコはマタイとルカをまとめて簡略したものだという立場をとる。このような説は19世紀の聖書学者ヨハン・グリースバッハ(Johann Jakob Griesbach)の名前にちなんで「グリースバッハ仮説」という。これは伝統的な立場に近いが、もしマタイが最初に書かれたとすれば、Q資料の存在の前提となっている二資料仮説は崩れてしまう。 ヨハン・ベンハム(John Wenham)などは、伝承通りに、マタイ、マルコ、ルカの順に福音書が書かれたという立場をとる。グリースバッハ仮説を支持する人々は、古代教会以来の伝承もマタイが最初に書かれたとしていることから、伝承を、無条件に根拠のないものとして退けることはできないと考えている。
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