嫡出性
嫡出性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 23:54 UTC 版)
日本では一夫多妻制が主であったため、旧皇室典範制定時には、庶子の存在が想定されていたとともに、庶子への皇位継承も皇統維持のためにはやむを得ないと捉えられていた。 その後、大正天皇・貞明皇后夫妻が4人の男子を儲けて一夫一妻制を推進した ことや、昭和天皇が主体的な意思で一夫多妻制を拒否した ことがあった。また、法律面では1898年(明治31年)の戸籍法改正により「妾」の存在がなくなった。 1946年(昭和21年)12月17日、第91回帝国議会貴族院皇室典範案特別委員会において憲法担当国務大臣の金森徳次郎は、次のように答弁した。 皇位繼承の範圍に庶子を入れるか入れないかと云ふ點に付きましては、色々な角度から考へなければならないと思ふ譯であります、大體日本の天皇の皇位繼承の問題は、根本的には何を基準として考ふるかと申しますれば、國民の核心として存在して居る一つの原理、即ち萬世一系の血筋を下ると云ふことでなければならぬと存じます。 — 国務大臣金森徳次郎、1946年(昭和21年)12月17日、皇室典範案特別委員会 その後、皇統の維持のため、歴史上女性天皇が即位を求められた或いは忌避されたことに触れつつ、安定的な皇位継承のために男系男子を多く確保する面からは「庶子が皇族の中に數へらるることが好ましい」とした上で、さらに次のように述べた。 現在の道義心の要請する所は、正當なる結婚に依つて御生れになつた方が此の萬世一系の血筋を御充しになると考ふることの方が、國民の核心に該當するものではなからうかと思ふのであります。(中略)庶子が何等の御責任がないことはそれは言ふ迄もないことでありまするけれども、併し其の點でなくて、正當なる結婚に依つて此の血筋が傳はると云ふことが現代の國民の一般意識であらうと存じまして、其の線を遂うて立法した譯であります。 — 国務大臣金森徳次郎、1946年(昭和21年)12月17日、皇室典範案特別委員会 こうして、皇室内部及び日本社会における結婚観・倫理観の変化を受け、現行の皇室典範では嫡出性が明記されるに至った。
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