アムトヒル男爵とは? わかりやすく解説

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アムトヒル男爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/06 14:25 UTC 版)

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アムトヒル男爵

紋章記述

Arms:Argent a Lion rampant Gules on a Chief Sable three Escallops of the field, a Mullet Or for difference Crest:A Goat statant armed and unguled Or, charged on the body with a Mullet Sable for difference Supporters:Dexter: a Lion Gules ducally gorged and charged on the shoulder with a Mullet Or; Sinister: an Heraldic Antelope Gules armed crined and tufted Or ducally gorged and charged on the shoulder with a Mullet also Or
創設時期 1881年3月11日
創設者 ヴィクトリア
貴族 連合王国貴族
初代 初代男爵オード・ラッセル
現所有者 5代男爵デイヴィッド・ラッセル英語版
推定相続人 アーサー・ラッセル閣下
相続資格 初代男爵の嫡出直系男子
付随称号 なし
現況 存続
邸宅 マウンツフィールド・ライ
紋章標語 Che Sera Sera
(What will be, will be)

アムトヒル男爵(アムトヒルだんしゃく、: Baron Ampthill)は、連合王国貴族男爵位。

ベッドフォード公爵ラッセル家の分流で外交官のオード・ラッセル1881年に叙されたのに始まる。

歴史

第6代ベッドフォード公爵ジョン・ラッセル(1766–1839)の次男ジョージ・ラッセル卿英語版(1790–1846)の三男であり、1871年から1884年にかけて駐ドイツ大使英語版を務めた外交官オード・ラッセルは、1881年3月11日勅許状により連合王国貴族爵位ベッドフォード州におけるアムトヒルのアムトヒル男爵(Baron Ampthill, of Ampthill in the County of Bedford)に叙せられた[1][2][3][4]

2代男爵オリヴァー・ラッセル英語版(1869–1935)は、植民地インドの行政官としてマドラス総督英語版(在職1900年-1906年)やインド総督代理(在職1904年)を務めた。またフリーメイソンの連合グランドロッジのグランドマスター代理を務めた[1][5]

3代男爵ジョン・ヒューゴ・ラッセル英語版(1896–1973)は、1922年に最初の妻クリスタベルが不貞を働いたとして離婚訴訟を行い、クリスタベルが1921年10月15日に産んだ男子(後の4代男爵ジェフリー・ラッセル英語版(1921–2011))の認知も拒否した[6]。しかし1924年の貴族院上訴判決は、ジェフリーの嫡出性を訴えるクリスタベルの主張を認めている(ラッセル事件英語版[1][6]

この結果、3代男爵の死後、ジェフリーが4代男爵を継承した。4代男爵が2011年に死去した後、その長男のデイヴィッド・ラッセル英語版(1947-)が5代男爵を継承し、現在に至っている[1]

男爵家のモットーはベッドフォード公家と同じく、『なるようになる(Che Sera Sera)[1]

アムトヒル男爵 (1881年)

  • 初代アムトヒル男爵オード・ウィリアム・レオポルド・ラッセル (1829–1884)
  • 2代アムトヒル男爵アーサー・オリヴァー・ヴィリアーズ・ラッセル英語版 (1869–1935)
  • 3代アムトヒル男爵ジョン・ヒューゴ・ラッセル英語版 (1896–1973)
  • 4代アムトヒル男爵ジェフリー・デニス・アースキン・ラッセル英語版 (1921–2011)
  • 5代アムトヒル男爵デイヴィッド・ホイットニー・アースキン・ラッセル英語版 (1947-)
    • 推定相続人は現当主の弟アーサー・ジョン・マーク・ラッセル (1952-)

家系図

ノート

  1. ^ a b c 1922年に3代男爵が最初の妻クリスタベルに対して離婚訴訟を行うも失敗。1923年に再度離婚訴訟を行って成功するも1924年の貴族院判決で覆される。最終的に1935年に離婚が認められたものの、貴族院は3代男爵とクリスタベルの間の息子の嫡出性に支障なしとした(ラッセル事件英語版参照)
  2. ^ 三番目の妻
  3. ^ 4代男爵の男爵位継承に疑義を唱える訴えを起こしたが、貴族院は1976年に彼の訴えを退け、4代男爵の正統性を確認

出典

  1. ^ a b c d e Heraldic Media Limited. “Ampthill, Baron (UK, 1881)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年2月27日閲覧。
  2. ^ Richard Davenport-Hines. "Russell, Odo William Leopold, first Baron Ampthill". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/24322 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  3. ^ "No. 24947". The London Gazette (英語). 8 March 1881. 2020年11月6日閲覧
  4. ^ Arthur G.M. Hesilrige (1921). Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc. Wellesley College Library. London, Dean. p. 41. http://archive.org/details/debrettspeeraget00unse/page/40 
  5. ^ Prior, Katherine. "Russell, (Arthur) Oliver Villiers, second Baron Ampthill". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/35874 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  6. ^ a b Harford Montgomery Hyde. "Russell, John Hugo, third Baron Ampthill". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/31639 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)

関連項目




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