奴隷軍の構成と目的
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 07:11 UTC 版)
「第三次奴隷戦争」の記事における「奴隷軍の構成と目的」の解説
スパルタクスを指導者とする奴隷軍の規模は古典史料によって異同があるが、南イタリア制圧から半島北上の全盛期には12万人から20万人、壊滅する最終局面では30万人以上に達したと推定されている。その構成は古典史料からは剣闘士、牧人奴隷(牛飼いと羊飼い)、脱走奴隷(家内奴隷と農業奴隷)、手工業奴隷に加えて「田畠からの自由人」(貧農)、サムニウムからの下層民、「寄せ集め」(零落した自由民)そしてローマ軍団からの逃亡者の存在がうかがえる。このうち、農業奴隷が人数的には大部分を占めていたと推定され、またスパルタクスは後になってローマ軍団からの逃亡者の受け入れを止めている。民族的にはゲルマン人、ケルト人(ガリア人)、スコルディスキ、トラキア人そしてイタリア人(自由民もしくは奴隷)が存在し、その他にローマ人の奴隷になっていたギリシャ・シリアの東方奴隷、ヒスパニア、アフリカ出身の奴隷については古典史料では言及がない。 アッピアノスは奴隷軍の軍紀が厳正であったことを伝えており、スパルタクスは略奪品を平等に分配し、金銀の個人的な所有を禁じたという。また、サッルスティウスに拠れば、スパルタクスは無用な暴行と略奪といった逸脱行為を禁じたという。 奴隷軍の目的について、アッピアノスやフロヌスはローマ進軍にあったとしているが、これは恐らくは当時のローマ市民が抱いた恐怖を反映したものであり、仮にそう考えていたとしても、この目標は反乱の後半には放棄されている。プルタルコスはスパルタクスはガリア・キサルピナにまで北上して彼の仲間たちを故郷へ返すことを望んでいただけであったと述べている。 ドイツのモムゼンやソ連のA・W・ミシューリンをはじめとする近現代の多くの研究者がアルプス山脈を越えて自由を得ようと主張するスパルタクス派と南イタリアに留まり略奪を続けようと主張するクリクスス派とに逃亡奴隷たちが分裂したとしている。逃亡奴隷の一部がアルプスを越えて脱出するよりもイタリアを略奪することを望んでいたとプルタルコスも述べており、紀元前1世紀の歴史家サッルスティウスの著作にはクリクスス派の人々は「敵に向かって進み、戦うことを欲した」との記述があり、分裂が発生したこと自体は古典史料と矛盾はしないが、これを支持する直接的な史料は存在しない。第二次世界大戦後になって、これまで通説となっていたスパルタクスとクリクススとの不和=不統一による分裂は存在せず、地域の分担による別行動だったとする説が提起されている。
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