奴隷貿易廃止への支持
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/06 16:33 UTC 版)
「ジョン・ペニントン (初代マンカスター男爵)」の記事における「奴隷貿易廃止への支持」の解説
1784年イギリス総選挙では第1次小ピット内閣の支持者としてミルボーン・ポートで再選、1790年イギリス総選挙でも再選した。一方、官職就任はアイルランド貴族への叙爵を理由に拒まれるようになり、1785年には小ピットへの官職申請が失敗している。 1784年に湖水地方で奴隷貿易廃止論者であるウィリアム・ウィルバーフォースと出会い、以降2人は文通した。マンカスター男爵も奴隷貿易廃止を支持するようになり、ウィルバーフォースの手紙では2人の調子が合うという記述が残っている。1792年にはHistorical Sketches of the Slave Trade and its Effects in Africaという奴隷貿易に関する著作を出版、『英国議会史(英語版)』が「奴隷貿易廃止論者から認められた典拠」(a recognized source book for the abolitionists)と評した。議会では奴隷貿易について演説しなかったが、度々奴隷貿易廃止に賛成票を投じた。 1793年2月3日に父が死去すると、準男爵位を継承した。1796年イギリス総選挙では与党の支持者としてコルチェスター選挙区(英語版)から出馬、486票(得票数2位)で当選した。この時期のペニントンはアディントン内閣(1801年 – 1804年)を支持したものの、あまり登院せず、1800年11月にはウィルバーフォースからコルチェスターの有権者の不興を買いかねないと警告されるに至り、1802年イギリス総選挙ではコルチェスターで支持されないと悟ってコルチェスターでの立候補を断念した。この総選挙でヨーク選挙区(英語版)からの出馬を模索して失敗した後、1804年9月にカンバーランドからの出馬を目指したが、ラウザーの後を継いだ第2代ラウザー子爵ウィリアム・ラウザー(英語版)(のち初代ロンズデール伯爵)の支持を得られなかった。 1806年5月にウェストモーランド選挙区(英語版)の現職議員である第4代準男爵サー・マイケル・ル・フレミングが死去すると、ウィルバーフォースがヘンリー・ピーター・ブルームを代表してラウザー子爵にブルームを推薦、内閣からも支持されたと述べた。しかし、ブルームの父がラウザー家の勢力に反対した経歴があったため、ラウザー子爵は怒り、マンカスター男爵を支持した上で首相の初代グレンヴィル男爵ウィリアム・グレンヴィルに打診して、グレンヴィルから「ブルームへの支持を許諾していない」の言質を得た上で支持もとりつけ、マンカスター男爵はそ当選した。マンカスター男爵は同年の総選挙で再選したが、選挙活動中の事故により妻が死去してしまった。
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