奴隷貿易廃止論者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/14 10:10 UTC 版)
「チャールズ・ミドルトン」の記事における「奴隷貿易廃止論者」の解説
ミドルトンは、海軍の任務に加えて、大英帝国の奴隷貿易に重要な役割を演じることになった。主計局長時代、ミドルトンは長年の友人であるジェームズ・ラムゼイ(英語版)の訪問をしばしば受けた。ラムゼイはセントキッツのプランテーションで軍医として働いていたが、奴隷とプランテーションについて聞かされたミドルトンと妻のマーガレットとは、奴隷貿易に反対するようになった。1784年、ラムゼイは、イギリスの砂糖植民地でのアフリカ人奴隷の扱いと改宗についての随筆を出版して、反奴隷貿易世代の人々に感銘を与えた。この随筆は特にマーガレットに影響を与えた。 ミドルトン自身、西インド諸島まで任務で航海しており、奴隷の待遇のひどさにうんざりしていた。マーガレットは夫に、この問題を議会で取り上げるように言ったが、ミドルトンは自分が適任であるとは思わなかった。ミドルトンは奴隷貿易廃止が長期戦で、しかも苦戦になることを知っており、若手議員のウィリアム・ウィルバーフォースに、この議題を取り上げるよう勧めた。ウィルバーフォースもおそらくは、この議題を取り上げるよう説得されていたはずであったが、ミドルトンが初めて議題を取り上げるように勧めたのが、ウィルバーフォースなのか他の議員なのかは議論の余地がある。1787年になって、ウィルバーフォースはテストンのミドルトン邸で、当時盛り上がりを見せていた奴隷貿易廃止運動の支援グループはもちろんのこと、ジェームズ・ラムゼイとトマス・クラークソンにも紹介された。このグループにはエドワード・ジェームズ・エリオット(英語版)や福音主義作家で博愛主義者のハンナ・モア(英語版)、ロンドン主教(英語版)のベイルビー・ポルテウス(英語版)もいた。クラークソンはバーラムコートのミドルトン邸で、奴隷たちの解放のために戦うことを初めて公にして、何年もかけて多くの調査をし、奴隷貿易に携わった何千人もの水兵から聞き取り調査を行って、奴隷貿易に関する証言を集めた。
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