奴隷船の中の生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/18 03:54 UTC 版)
「ミドル・パッセージ」の記事における「奴隷船の中の生活」の解説
通常、ミドル・パッセージの間の奴隷たちの取り扱いは酷いものだった。彼らは人間であるとは見なされず、「貨物」あるいは「製品」、つまり売り買いのできる物と見なされていた。 ミドル・パッセージにおいて奴隷たちに与えられた食べ物はごく僅かなものであった。どんなに条件の良い奴隷船であっても、マメ、トウモロコシ、ヤムイモ、コメ、パーム油程度が与えられたにすぎなかった。それでも毎日与えられるとは限らなかった。船乗りと奴隷のための食料が充分にない場合は、船乗りが先に食べ、奴隷は何も食べられない可能性があった。病気にかかっていそうな奴隷には一切食べ物を与えないという奴隷船もあった。ミドル・パッセージで大勢の奴隷が飢えと渇きのために死亡した。 奴隷たちはあまりにもぎゅうぎゅう詰めに押し込まれており、大小便の処理すらも行われなかったため、病気は瞬く間に蔓延した。もっとも一般的な病気は、赤痢、壊血病、天然痘、梅毒、麻疹であった。ミドル・パッセージで大勢の奴隷が病気のために死亡したが、移送距離が長ければ長いほど死亡する人数は増えた。また、多くの奴隷が食欲不振に陥った。 奴隷は水夫の命令に従わない場合はしばしば処罰を受けた。水夫たちが反抗的と見なした奴隷も同じだった。とにかくいろいろな理由で処罰を受けた。たとえば、病気になったり、あまりに劣悪な船内の環境により精神が参ってしまったりしてものが食べられない場合でも、殴られたり鞭で打たれたりした。最も重い処罰は、反乱を試みた奴隷に対してなされるものだった。ある奴隷船では、船長を殺して反乱を起こそうとしたとされた奴隷は、彼の心臓と肝臓を他の2人の奴隷に食べさせるという罰を受けた。 女性や子供の奴隷はしばしば水夫による強姦や性的虐待を受けた。 絵画資料集 奴隷商人に売るために連行される男性、女性、子どもたちの一群 オーギュスト・フランソワ・ビアール(フランス語版)作「奴隷貿易(アフリカ西海岸の奴隷たち)」 奴隷船ブルックス号(Brookes)の船内見取り図。4層もある巨大な船であった。 同左 すし詰め状態の奴隷たちの様子を示す絵 死んだ奴隷又は死にかけの奴隷を海に投げ捨てる様子を描いた油絵。ターナー作。 国立アメリカ歴史博物館に展示されている奴隷船の断面模型
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