奴隷戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/14 13:18 UTC 版)
奴隷戦争(どれいせんそう)とは、共和政ローマ期に起こった奴隷による反乱であり、3度発生した。
- 第一次奴隷戦争 : 紀元前135年から紀元前132年まで。シチリアに於いてシリア人奴隷エウヌス(Eunus)が首謀した戦争。
- 第二次奴隷戦争 : 紀元前104年から紀元前103年まで。シチリアに於いて、サルウィウス(Salvius)、トゥリフォン(Tryphon)、アテニオン(Athenion)が首謀した戦争。
- 第三次奴隷戦争 : 紀元前73年から紀元前71年まで。イタリア本土・カプアで発生したスパルタクス(Spartacus)らが首謀した戦争。3次の中で最も大きな奴隷戦争であり、日本では「スパルタクスの反乱」の名称で知られる。
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奴隷戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/16 04:00 UTC 版)
奴隷の反乱軍の指導者はシリア出身のエウヌス(en)であった。彼は影響力のある預言者であり、さらに召喚魔術師と見なされていた。 エウヌスがまだ奴隷であったとき、彼の主人は彼を饗宴の際の芸人として雇っていた。彼は火を吐いたり、優れた手品を行うことができた。彼は演技を行う間、聴衆にはユーモアに聞こえるようにではあるが、今にシキリア社会が逆転し、貴族は殺されるか奴隷になり、自身は王になるであろうと、言い続けていた。チップをくれた人には、彼が王になったら救われるであろうと約束した。実際に反乱が起こると、エウヌスは何人かの命を救っている。 シケリアのディオドロスによると、反乱軍は20万に達したと述べるが、これは成人男子だけではなく女性も子供も含んだ数であろう。ティトゥス・リウィウスとオロシウスは、反乱軍を7万と推定している。 エウヌスが実際に戦闘に参加したかは、ほとんど知られていない。敵であるローマが彼の記録を残しているが、戦闘での勝利に関しては、シリア出身のクレオンの手柄であるとしている。しかしエウヌスは戦争の期間を通して指導者の地位を保っており、極めて有能な人物であったに違いない。最後にはクレオンは戦死し、エウヌスは捕虜となってモルガンティナへと護送された。しかし処刑される前に彼は死んだ。 この戦争は紀元前135年から紀元前132年まで続いた。これはローマに対する三度にわたる奴隷の大規模反乱の最初のものであった。最後の反乱は最も有名で、スパルタクスが率いたものである。
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「奴隷戦争」の例文・使い方・用例・文例
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