奴隷戦争
奴隷戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/16 04:00 UTC 版)
奴隷の反乱軍の指導者はシリア出身のエウヌス(en)であった。彼は影響力のある預言者であり、さらに召喚魔術師と見なされていた。 エウヌスがまだ奴隷であったとき、彼の主人は彼を饗宴の際の芸人として雇っていた。彼は火を吐いたり、優れた手品を行うことができた。彼は演技を行う間、聴衆にはユーモアに聞こえるようにではあるが、今にシキリア社会が逆転し、貴族は殺されるか奴隷になり、自身は王になるであろうと、言い続けていた。チップをくれた人には、彼が王になったら救われるであろうと約束した。実際に反乱が起こると、エウヌスは何人かの命を救っている。 シケリアのディオドロスによると、反乱軍は20万に達したと述べるが、これは成人男子だけではなく女性も子供も含んだ数であろう。ティトゥス・リウィウスとオロシウスは、反乱軍を7万と推定している。 エウヌスが実際に戦闘に参加したかは、ほとんど知られていない。敵であるローマが彼の記録を残しているが、戦闘での勝利に関しては、シリア出身のクレオンの手柄であるとしている。しかしエウヌスは戦争の期間を通して指導者の地位を保っており、極めて有能な人物であったに違いない。最後にはクレオンは戦死し、エウヌスは捕虜となってモルガンティナへと護送された。しかし処刑される前に彼は死んだ。 この戦争は紀元前135年から紀元前132年まで続いた。これはローマに対する三度にわたる奴隷の大規模反乱の最初のものであった。最後の反乱は最も有名で、スパルタクスが率いたものである。
※この「奴隷戦争」の解説は、「第一次奴隷戦争」の解説の一部です。
「奴隷戦争」を含む「第一次奴隷戦争」の記事については、「第一次奴隷戦争」の概要を参照ください。
「奴隷戦争」の例文・使い方・用例・文例
- シチリアの奴隷戦争
- 奴隷戦争のページへのリンク