奴隷市場と定期市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 02:59 UTC 版)
「アラブ人の奴隷貿易」の記事における「奴隷市場と定期市」の解説
奴隷にされたアフリカ人はイスラーム教徒世界の都市に売られた。1416年、al-Maqriziはen:Takrur(セネガル川近郊)から来る巡礼者たちがどのように1700人の奴隷を買い、メッカへと連れてきたかを告げている。北アフリカでは、主要な奴隷市場は、モロッコ、アルジェ、トリポリ、カイロに位置した。競売は公共の場所やスーク(市場)で行われた。潜在的な買い手は「商品」を注意深く調べた。奴隷はしばしば手首を縛られて裸で立ち、買い手は健康状態を調べた。カイロでは、去勢された男や妾を含む取引が個人宅で行われた。値段は奴隷の質により決定した。イギリスの調査船Ternateの指揮官Thomas Smeeは、1811年ザンジバルでこうした奴隷市場を訪れ、詳細な解説をしている。 「ショー」は午後4時に開始した。最高に優位な状態で始めるため、奴隷たちの皮膚は清められココナツ油で磨き上げられ、顔には赤と白の線が描かれ、手や鼻や耳や足は多く金銀や宝石の輪で飾り立てられている。彼らは、最も年の若いものから始まり次第に大きさと年齢が増えるに従い後ろとなる列に並んだ。この列は6歳から60歳に渡る全ての年齢と性別の人間をふくみ、その先頭は彼らの持ち主であった。後ろと両端は、2,3人の家内奴隷であり、護衛として剣や槍で武装していた。 このよう統制されて過程は始まり、市場の場所や主な通りを通り抜けていく。... 誰かが見物人の興味を引いた時には、行列はすぐさま停止し、続いて吟味の過程が始まる。これは仔細には、ヨーロッパの家畜市場と同等ではない。買い手が確かめる意図は、話す聞くなど能力に欠陥がないこと、現在病気がないことである。その次の過程は個人を調べることである。最初に口と歯を調べ、その次に体のあらゆる部位を順に点検し、少女の胸なども例外ではない。私は公共市場において買い手によって多くの少女が最も無作法な方法で取り扱われるのを見た。まさにそこには、奴隷業者はほぼ普遍的に若い少女が処分される前に彼らの色欲に従うよう強要すると信じるに足るあらゆる理由がある。こんな光景から人は慈悲と憤怒をもって目を背ける。
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