女子マラソン日本記録更新・2大会連続五輪出場
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2005年9月25日開催のベルリンマラソンでは、2時間19分12秒の大会新記録を出して優勝(獲得賞金7万ユーロ・約945万円)。そして、この記録は孫英傑が持っていたアジア記録、渋井陽子が前2004年のベルリンマラソンで出していた日本記録をともに更新し、当時のラドクリフ、ヌデレバの記録に次ぐ世界第3位であった(2020年時点では世界歴代17位)。この記録は「走った距離は裏切らない」という言葉を胸に、毎日約40kmのランニング練習をこなしている成果である。 所属するグローバリーの不祥事により陸上部が廃部されたため、2005年12月1日付でシスメックスに移籍した。移籍後初の大会となった2006年2月5日の第60回香川丸亀ハーフマラソンでは、自己の日本記録を上回るタイムを出しながらも、福士加代子に敗れて2位。同年7月9日の札幌国際ハーフマラソンでは、中盤まで大南博美とデッドヒートを繰り広げたが、その後引き離して終盤は独走、大会新記録で優勝を果たしている。 2008年北京オリンピックの女子マラソン代表選考レースである、2007年11月18日開催の東京国際女子マラソンにエントリー、2年2か月ぶりのフルマラソン出走となった。野口と同期生で前日本記録保持者の渋井陽子や、有力選手のサリナ・コスゲイとの優勝争いが予想されたが、レース後半の30km手前で渋井を引き離し、35kmで粘るコスゲイもスパートで競り落とし、35kmから40kmまで続く5kmの急な上り坂を過去最速となる初の16分台のラップタイム(16分55秒)で通過するなど、圧倒的な強さでこの難コースを完璧に攻略。東京国際女子マラソンとしても大会新記録・大会初優勝を飾った。また、この優勝により、日本選手として史上初めて東京・大阪・名古屋の国内三大女子マラソンを完全制覇した(海外選手では先にカトリン・ドーレが国内三大女子マラソンを制覇している)。 2008年3月10日の日本陸連理事会において、北京五輪女子マラソンへ正式に代表入りを果たし、2大会連続の五輪出場を決めていた(他代表選手は土佐礼子、中村友梨香)。 2008年1月13日の全国都道府県対抗女子駅伝(三重県代表・9区アンカー10km)以来の公式戦(原因不明の発疹により2レースを欠場)となった、同年5月11日の仙台国際ハーフマラソンは、昨年の大会の自己記録を29秒上回るタイムで2連覇を達成した。しかし本レース以降は2年以上にわたり、公式レースから遠ざかることとなった。
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