太陽を踊らせている昆虫宿
作 者 | |
季 語 | |
季 節 | |
出 典 | 西壺 |
前 書 | |
評 言 | 逆説的なイメージの句である。太陽と生物との関係を考えるとき、私達は通常逆のプロセスを想像する。朝、まず太陽が昇る。太陽の光が大気を温め、赤外線などの効果もあって、空気や地面の温度が上昇する。そうして徐々に生物の体が温められ、血流などが促進されて活動が活発化する。 ところがこの句では逆の論理が展開される。「昆虫宿」が何を指すのか明らかではないが、例えば色々な虫達が集まって冬越しをしている。そんな様子を想像しよう。虫達は眠っていたり、暗い空間の中でこそこそと這い回っていたりする。その一個一個の体の中の、ごくごく小さなエネルギーが結集して、やがて大きな力の渦となって、「宿」の天井を突き破り、大気を通過して、太陽という恒星までを動かしてゆくというのである。生命の持つ微小な力と天体という巨大な秩序が一句の内に内包され、相互の間を途轍もないエネルギーが往還する。そして虫達の命の数も、宇宙を構成する星の数も、数限りのないものなのである。 作者は大正三年生まれ。昭和十年に招集され、その後十二年間の軍隊生活を送った。中国、南方を転戦し、レンパン島での抑留の後に復員している。戦前から新興俳句に関わったが、戦後は『極光』を中心に活躍し、後に『葦』を主宰。前衛俳句運動の一端を担った。「喉仏叫んで吐けば蓮華かな」、「能面を二つに割れば二つの蝶」、「花びらが重ければ天鳴り止まず」などの作があるが、どの作品にも身体から絞り出すような命への思いと、一種哲学的な人間存在への「念」が滲んでいる。これらの生命観、存在観の凄まじさは、前線体験と飢餓の極限にあった抑留経験から来るものに違いない。生死の境で捉えられた「生命の根源の力」とでもいうべきもの。それが冒頭の作品では、宇宙をも動かす巨大なエネルギーとなって立ち現れる。生態系保全や宇宙探索の進んだ現在だからこそ、納得できる作品であると思うがいかがであろうか。 |
評 者 | |
備 考 |
- 太陽を踊らせている昆虫宿のページへのリンク