天蓋の聖母 (ラファエロ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/16 11:51 UTC 版)
イタリア語: La Madonna del Baldacchino 英語: The Madonna of the Baldacchino |
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作者 | ラファエロ・サンツィオ |
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製作年 | 1508年 |
種類 | 油彩、板 |
寸法 | 280 cm × 216 cm (110 in × 85 in) |
所蔵 | パラティーナ美術館、フィレンツェ |
『天蓋の聖母』[1](てんがいのせいぼ、伊: La Madonna del Baldacchino[1][2][3][4], 英: The Madonna of the Baldacchino)として知られる『玉座に座る聖母子と聖ペトロ、聖ベルナルドゥス、聖アウグスティヌス、聖ライネリウス』(ぎょくざにすわるせいぼしとせいペトロ、せいベルナルドゥス、せいアウグスティヌス、せいライネリウス、伊: La Madonna con Bambino in trono e i santi Pietro, Bernardo, Agostino e Ranieri, 英: Madonna and Child Enthroned with Saints Peter, Bernard, Augustine and Ranieri)は、盛期ルネサンスのイタリアの巨匠ラファエロ・サンツィオが1508年に制作した祭壇画である。油彩。フィレンツェ時代のラファエロが唯一発注を受けた大型の祭壇画である[5]。『天蓋の聖母』という通称はバルダッキーノと呼ばれる天蓋が描かれていることに因んでいる。ジョルジョ・ヴァザーリによるとサント・スピリト聖堂にあるデイ家(famiglia Dei)の礼拝堂のために描かれたが、ラファエロが1508年末にラファエロがローマ教皇ユリウス2世の招聘を受けてローマに移ったために未完成のまま放置された[3][4][5][6]。現在はフィレンツェのパラティーナ美術館に所蔵されている[1][2][3][4][5][6]
制作経緯



祭壇画は1507年にサント・スピリト教会のデイ家の礼拝堂のために制作が開始された[6]。ラファエロが本作品を制作したことは、祭壇画を制作していたことを明言したラファエロの1508年の手紙が残されているほかに、ジョルジョ・ヴァザーリが著書『画家・彫刻家・建築家列伝』の中で証言している[2]。しかしラファエロが本作品を最後まで描き上げることはなかった。ラファエロは教皇ユリウス2世に招聘されるとすぐにローマに移り、現在「ラファエロの間」として知られるヴァチカン宮殿のフレスコ画制作の仕事を受けた。そのため祭壇画は未完成のまま放置されることとなった。
作品
ラファエロは天蓋の下の玉座に座る聖母子とその周囲に立つ4人の聖人を描いた。聖人たちのうち3人はクレルヴォーの聖ベルナルドゥス、聖ペトロ、聖アウグスティヌスとする点で概ね一致している[2][5][6]。ただし画面左奥の聖人については修道院長聖アントニウス[5]、聖ヤコブ(大ヤコブ)[6]、あるいはピサの守護聖人である聖ライネリウスなどと言われる[2]。聖ライネリウスはピサのスカッチェリ家の出身で、青年時代は放蕩な生活を続けていたが、19歳のときにキリストの教えに目覚め、聖地エルサレムに旅立った。全財産を貧しい人々に施し、聖地の隠者たちと禁欲的生活を送る間に様々な奇跡を起こしたのち、1161年に故郷であるピサの地で死去したと伝えられている。その約470年後の1632年に聖ライネリウスはピサの守護聖人として選ばれた[7]。
玉座の左側奥にいるのは聖ベルナルドゥスである。その姿は典型的なものであり、シトー会の白い修道服を着た髭のない若者の姿として描かれている[8]。左側前景には聖ペトロが天国の鍵と福音を象徴する書物を持って立っており[9]、聖ベルナルドゥスと語り合っている。右側前景には司教冠を被った聖アウグスティヌスが立っている。中でも画面右前景に位置する聖アウグスティヌスの存在感は際立っており、鑑賞者たちを見つめながら聖母子と聖人たちの一団を紹介するように指し示している。彼らの頭上にある天蓋は円錐形の頂部から深い緑色のカーテンが垂れ下がっている。2人の天使は地上に舞い降りて、そのカーテンを持ち上げ、左右に開いている。画面中央下には2人の幼い天使がおり、手にした巻物を広げて記された言葉に思いを巡らせている。背景の建築要素は聖母子と四聖人が教会を象徴する建築物の中に集まっていることを示しており、画面両端にあるコリントス式柱頭を備えた円柱とその奥に広がる半円状の空間は教会の後陣であることを表している。さらに画面上部には格子状の半円蓋が見られる[2]。
ただし、メディチ家によって購入された1697年、祭壇画の画面上部は現存する金箔を施した木彫の額縁のサイズに合わせるため約30センチほど拡張された[2]。したがって、この部分に描かれた天蓋の円錐形の頂部と半円蓋の天井といった背景描写は後代のものであり、当時の宮廷画家ニッコロ・カッサーナによって追加された要素である[2][5]。
風を受けた天使など、ラファエロが後のローマ時代に展開する独創的表現のいくつかは、すでに『天蓋の聖母』に見出せる[2]。
先行作品の影響
構図は調和した人物の配置や繊細な感情表現だけでなく、軽妙さと記念碑性を備えているが、また計算された空間を意図的に作り出すラファエロの能力も注目される。彼がこの祭壇画で見せる卓越した技巧はフラ・バルトロメオや、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ・ブオナローティといった芸術家たちに比肩するものである。これはラファエロが『天蓋の聖母』を描いたときには、フィレンツェの芸術を十分に吸収し、習得していたことを意味している[2]。特に影響が見て取れるのはヴェネツィア派とフラ・バルトロメオであろう[6]。たとえば建築物を描いた背景は、建築家フィリッポ・ブルネレスキが建設したサント・スピリト聖堂の内部と調和するように意図されたが[5]、教会の後陣という室内空間の設定は初期ヴェネツィア派の影響が顕著であり、ジョヴァンニ・ベリーニの祭壇画を彷彿とさせる[6]。
フラ・バルトロメオの影響は主要人物たちの記念碑的な構図とポーズに表れている。玉座の聖母子は構図の中心に配置され、登場人物はいずれも異なる表情とポーズをとっている。さらに玉座の周囲に半円形に配置された聖人たちと、飛翔しながら天蓋のカーテンを開いている天使たちは、大気が循環する自由な感覚を祭壇画に与えている[6]。
科学的調査
ラファエロの死後、祭壇画はしばしば別の画家が背景の建築物やおそらく飛翔する天使たち、また画面右の聖人たちを描き加えたのではないかと疑われてきた。しかし1987年から1991年にかけてフィレンツェの貴石細工工房で行われた修復によって、1697年にニッコロ・カッサーナが追加した拡張部分を除き、祭壇画のすべての要素がラファエロによるものであると証明された[5][6]。さらに祭壇画が制作段階のどの時点でも完全に完成していないことが判明し、ラファエロが絵画を未完成の状態で残したというヴァザーリの記述を証明することとなった[2]。修復によって得られた情報は祭壇画がラファエロがフィレンツェを去った当時の姿をほぼそのまま残していることを示唆している。建築要素で構成された背景もオリジナルの状態である[5]。
来歴

ラファエロがユリウス2世の招聘により未完成の状態であった祭壇画を残してフィレンツェを去ると、デイ家はフィレンツェの画家ロッソ・フィオレンティーノに新たな祭壇画を発注した。後者のデイ家祭壇画『聖母子と諸聖人』(Madonna col bambino e santi)はラファエロ死後の1522年に完成し、デイ家礼拝堂の祭壇に設置された[2][10][11]。一方、ラファエロの死後、ヨハン・ダーフィト・パサヴァンによると未完成の祭壇画は弟子のジュリオ・ロマーノとジャンフランチェスコ・ペンニが相続したのち売却した[3][4]。これをトスカーナ地方の都市ペーシャ出身で教皇庁の役人であったバルダッサーレ・トゥリーニが購入し、ペーシャ大聖堂にあるトゥリーニ家礼拝堂の祭壇に設置した[2][5]。
1697年9月7日、祭壇画はトスカーナ大公コジモ3世の息子である大公子フェルディナンド・デ・メディチによって購入された[2][5]。この購入には1万スクードという巨額が動いた[5]。しかし大聖堂からラファエロの聖母画が失われると知ったペーシャの住民が激しく反発したため、『天蓋の聖母』は夜間のうちに大聖堂から密かに持ち出され[2]、元の場所には代替品としてフィレンツェの画家ピエトロ・ダンディーニによって描かれた複製が設置された[2][5]。この複製は現在も教会に現存している[5]。祭壇画はメディチ家の手に渡ると、ニッコロ・カッサーナによって画面が拡張され[2][5]、ピッティ宮殿1階南翼にある大公子フェルディナンドの居室でフラ・バルトロメオが描いた『キリストと四福音書記者』(Il Salvator Mundi con i quattro evangelisti)の対として飾られた。この組み合わせは後世にいたるまで尊重された。ハプスブルク家ロレーヌ公爵がトスカーナ大公国を支配した時代には、両作品はともに宮殿内の「サトゥルヌスの間」に移されている[2]。その後、ナポレオン軍によって略奪され、パリに運び込まれたのち、1815年に返還され[5]、現在も「サトゥルヌスの間」でフラ・バルトロメオの『キリストと四福音書記者』とともに展示されている[2]。
影響
アンドレア・デル・サルトは明らかに本作品を参照して、ドレスデンのアルテ・マイスター絵画館に所蔵されている『聖カタリナの神秘の結婚』(Il Matrimonio mistico di santa Caterina d'Alessandria, 1512年)を制作した[12]。天蓋の下の玉座に座る聖母子は画面の中央に配置されており、左右に配置された2人の天使によって開かれたカーテンの奥から姿を現している。
特別展
2023年、『天蓋の聖母』は約320年ぶりにペーシャ大聖堂への一時的な帰還を果たし、トゥリーニ家礼拝堂の祭壇に特別に展示された。この特別展はウフィツィ美術館が2021年以来推進する「ウフィツィ・ディフージ(拡散するウフィツィ美術館)」(Uffizi Diffusi)と呼ばれるプロジェクトの一環として企画されたものである[13][14][15][16][17][18]。祭壇画は木製台座の補強と貴石細工工房での検査を経て、問題ないと判断されたうえで[13]、2023年5月7日から同年7月30日にかけて展示された[16][18]。また特別展では大聖堂に所蔵されているピエトロ・ダンディーニの複製も同時に展示された[16][17][18]。
ギャラリー
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ロッソ・フィオレンティーノのデイ家祭壇画『聖母子と諸聖人』1522年 パラティーナ美術館所蔵
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フラ・バルトロメオ『キリストと四福音書記者』1514年-1516年 パラティーナ美術館所蔵
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ピエトロ・ダンディーニによる複製 ペーシャ大聖堂所蔵
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躍動感あふれる飛翔する天使(ディテール)
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躍動感あふれる飛翔する天使(ディテール)
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2023年の特別展示の風景
脚注
- ^ a b c 『西洋絵画作品名辞典』 1994, p. 863。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s “Madonna and Child Enthroned with Saints Peter, Bernard, Augustine and Ranieri, known as Madonna del Baldacchino”. ウフィツィ美術館公式サイト. 2025年10月9日閲覧。
- ^ a b c d “Madonna con Bambino e Santi”. ウフィツィ美術館公式サイト. 2025年10月9日閲覧。
- ^ a b c d “Madonna del Baldacchino. Madonna con Bambino e Santi”. イタリア文化財総合目録公式サイト. 2025年10月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p “Raphael”. Cavallini to Veronese. 2025年10月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “Madonna del Baldacchino”. Web Gallery of Art. 2025年10月9日閲覧。
- ^ “San Ranieri di Pisa”. Santi, beati e testimoni. 2025年10月9日閲覧。
- ^ 『西洋美術解読事典』 1988, pp. 307-308「ベルナルドゥス、クレルヴォーの(聖)」。
- ^ 『西洋美術解読事典』 1988, pp. 292-296「ペテロ(聖)」。
- ^ “Rosso Fiorentino”. Cavallini to Veronese. 2025年10月9日閲覧。
- ^ “Rosso Fiorentino. Madonna Enthroned and Ten Saints”. Web Gallery of Art. 2025年10月9日閲覧。
- ^ “Andrea del Sarto”. Cavallini to Veronese. 2025年10月9日閲覧。
- ^ a b “Raphael, The Madonna of the Canopy on display in Pescia's Cathedral”. ウフィツィ美術館公式サイト. 2025年10月9日閲覧。
- ^ “Uffizi Diffusi open up to new horizons”. ウフィツィ美術館公式サイト. 2025年10月9日閲覧。
- ^ “Baldacchino’s Back – A Raphael Masterpiece Returns to Pescia”. Tuscan Trends. 2025年10月9日閲覧。
- ^ a b c “Uffizi diffusi: la Madonna del baldacchino di Raffaello torna a Pescia”. Intoscana. 2025年10月9日閲覧。
- ^ a b “Raphael's Madonna of the Canopy returns to Pescia, to the church where it was for 150 years”. Finestre sull'Arte. 2025年10月9日閲覧。
- ^ a b c “The Uffizi is taking its art to the people”. The Economist. 2025年10月9日閲覧。
- ^ “Die Verlobung der heiligen Katharina”. ドレスデン国立美術館公式サイト. 2025年9月2日閲覧。
参考文献
- 黒江光彦 監修『西洋絵画作品名辞典』三省堂、1994年、863頁。ISBN 978-4385154275。
- ジェイムズ・ホール 著・高階秀爾 監修『西洋美術解読事典』河出書房新社、1988年、292-296, 307-308頁。 ISBN 978-4309267500。
外部リンク
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