天皇・皇后に瑜祇灌頂を授ける
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「文観」の記事における「天皇・皇后に瑜祇灌頂を授ける」の解説
詳細は「絹本著色後醍醐天皇御像#内容」を参照 元徳2年(1330年)10月26日、御節所(一説に常寧殿のこと)において、文観は瑜祇灌頂(ゆぎかんじょう)という儀式を後醍醐天皇に授けた(『瑜伽伝灯鈔』『十二代尊観上人系図』)。 この瑜祇灌頂というのは、主に『瑜祇経』上下巻のうちの上巻序品を基礎とする灌頂(授位の儀式)である。「究極の灌頂」「密教の最高到達点」とも称され、相当な修行を必要とする、当時の真言宗最高の神聖な儀式である。これより上は即身成仏しかない。後醍醐の肖像画として最も著名な『絹本著色後醍醐天皇御像』(重要文化財、清浄光寺蔵)も、この瑜祇灌頂の時の様子を描いたものである。『瑜伽伝灯鈔』著者の宝蓮によれば、高僧が帝王とその正妃の両方に瑜祇灌頂を授ける事例は、三国(インド・中国・日本)のいずれの国においてもこれまで先例がなかったという。 確かに世俗身分かつ上皇ではなく天皇の地位にある後醍醐天皇が、最高の灌頂である「瑜祇灌頂」を授かったというのは、例外的な事例である。ただ、例外的ではあるものの、後醍醐は道順・栄海・性円らから灌頂を受け、文観からは印可・仁王経秘宝・両部伝法灌頂といったものまで授けられているので、熟練の僧侶と同格の修行はこなしてきている。したがって、正しい段階は踏んでいるため、流れとしては自然である。 なお、同年11月23日には「夢のお告げ」として、後醍醐は中宮の西園寺禧子にも瑜祇灌頂を受けさせている。後醍醐自身が堅実に修行をこなしてきたのとは違って、こちらは一飛ばしで受けさせており、かなり強引な例である。ただ、内田啓一によれば、当時の人の感覚では、夢のお告げというのは相当に重要なものであり、まして天皇もしくは中宮の夢とあれば文観も断れなかったのではないか、という。内田によれば、後醍醐は瑜祇灌頂を気に入り、夢のお告げという体裁で、どうしても夫婦揃って受けたかったのではないか、という。兵藤裕己によれば、『増鏡』「秋のみ山」などにみられるように、後醍醐と禧子は仲睦まじい夫婦だった。
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