大阪高等工業学校時代
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「大阪工業大学 (旧制)」の記事における「大阪高等工業学校時代」の解説
1901年5月10日:大阪高等工業学校と改称(勅令第99号)。一般の工業学校より高レベルであることを名称で明確化。 1903年3月:専門学校令公布に伴い、4月1日付で実業専門学校となる。 1903年6月:規定改正、学部を廃止(文部省令第27号)。設置学科は、機械科、応用化学科、染色科、窯業科、醸造科、冶金科、造船科(旧船体科)、舶用機関科(旧機関科)。 1906年5月:冶金科を採鉱冶金科と改称。 1906年9月:染色科を廃止。 1908年2月:電気科を設置。 1914年9月:窯業科を廃止、東京高等工業学校窯業科に併合。 1915年7月:同窓会「玉江会」発足。 1916年5月:大阪工業夜学校を併設。中等科2年制、高等科2年制。1917年、大阪工業専修学校と改称。 1919年1月:大学昇格運動勃発。2月、昇格期成学生大会を開催。昇格運動は同窓生の手に委ねられることとなった。 1919年3月:同窓会「大阪工業倶楽部」設立(後の社団法人大阪大学工業会)。 1920年5月:工業教員養成所を附設(機械科・応用化学科・電気科)。修業年限3年、入学資格は中学卒・師範学校卒。 1923年3月:第46回帝国議会、大阪高等工業学校を含む5校の大学昇格案を可決。高等学校卒業者の進学先増設のため。 当初は1927年昇格予定。9月、関東大震災発生で昇格凍結。 1924年7月:大阪市電無警告ストライキに対し、生徒有志が運転手代行。車掌代行は大阪高商生有志が務めた。
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