大連競馬倶楽部とは? わかりやすく解説

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大連競馬倶楽部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 23:31 UTC 版)

関東州の競馬」の記事における「大連競馬倶楽部」の解説

1923年(大正12年)内地競馬法(旧競馬法)が成立し馬券発売が始まると、関東州でも大正12年勅令340号(関東州ニ於ケル競馬ニ関スル勅令)が公布され関東州競馬企画する数多い民間団体一つにまとめられ社団法人大連競馬倶楽部が発足した。 大連競馬倶楽部は1923年(大正12年)10月第1回競馬11月第2回競馬周水競馬場行い周水競馬場大連市街から遠く不便だったため、1923年(大正12年)大連星ヶ浦に1周1マイル競馬場作り移転した。 星ヶ浦競馬場南側塩田面し東側入り江になっており、初期整備されていないころは満ち潮強風海水を被ることもあったが、次第整備され4000収容スタンドなどが設置された。 大連競馬年を経るごとに規模拡大している。 大連競馬データ昭和7年までの数字年号開催回数開催日競走回数出走馬入場者数馬券売上競馬賞金総額大正 12 2場所 8日 96242頭 9,352162,015円 26,27013 3 12 142 283 22,598 411,290 41,976 14 4 16 196 307 46,688 583,451 43,615 15 4 16 208 351 53,563 609,087 62,320 昭和 2 4 16 219 375 49,939 668,607 61,380 3 4 16 225 426 51,806 677,621 69,505 4 4 22 314 545 45,039 956,799 88,910 5 4 24 346 582 48,309 1,109,560 95,585 6 4 24 336 582 69,644 1,213,755 104,775 7 4 30 425 849 117,291 1,622,505 143,650 大連競馬は年2場所が定例で他に臨時開催加えて行われた。馬は外蒙古ハイラル地方蒙古馬基礎にした満州馬とそれの子孫で行われ、主に抽籤馬である。1932年(昭和7年)時点での獲得賞金高の多い5頭中4頭を抽籤馬占めている。呼馬1924年(大正13年)から導入され呼馬初期蒙古ハイラルから購入していたが、関東州内で満州馬の改良種生産されるようになってからは関東州内の産馬が主流になっている関東州出走馬牝馬のみに限定された(例外的に初期昭和3-5年少数騸馬出走している)。 競走は駈足競走(普通の競馬)に加えて繋駕速歩競走トロットレース)も行われ、駈足競走1200メートルから2400メートル(最多1600メートル)で行われ繋駕速足競走2200メートルから4000メートル(最多は3200メートル)で行われた1932年(昭和7年)では駈足競走372に対して繋駕速足競走30行われている。 騎手1933年(昭和8年)の数字では大連競馬倶楽部所属39人のうち九州出身者半数以上を占め、これは他の関東州競馬場(奉天安東)でも同じ傾向だったという。

※この「大連競馬倶楽部」の解説は、「関東州の競馬」の解説の一部です。
「大連競馬倶楽部」を含む「関東州の競馬」の記事については、「関東州の競馬」の概要を参照ください。

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