大連ヤマトホテルとは? わかりやすく解説

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大連ヤマトホテル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 03:39 UTC 版)

ヤマトホテル」の記事における「大連ヤマトホテル」の解説

ヤマトホテル旗艦店である。大連欧亜連絡鉄道上海航路との接続点であり、日本から満州へ玄関口であり、そして満鉄本社置いた最重要拠点である。それ故に大連ヤマトホテルには欧米一流ホテル伍する格式求められた。満鉄設立から間もない1907年明治40年8月1日、旧ダーリニーホテルを改装して開業大連一の格式ホテルだったが、客室数が13室と小規模宿泊客増加に対応できず、1909年明治42年5月7日には旧満鉄本社跡(旧ダーリニー市庁舎)を改修して客室36室を確保、さらに1911年明治44年)には社宅建物2棟改装し客室8室を増設合計58室とした。 1914年大正3年3月大連中心部大広場(現中山広場前に新館竣工8月1日移転開業した建設費90万円以上、完成まで4年要したという当時としては巨大なホテルで、客室115室・収容人数175名を誇った建物の外観イオニア式ジャイアント・オーダーが8本並ルネサンス様式正面玄関には鉄製キャノピー設けられた。設計者満鉄技師太田毅と推定されている。欧米人宿泊客想定して館内設備充実しており、蒸気暖房エレベーター備えていた。屋上には庭園作られ夏季には夜間営業を行う屋上レストランルーフガーデン」が設置された。そのほか理髪所や洗濯部、車馬部(後に自動車部)などのサービス部門併設されていた。 現在は3つ星ホテル大連賓館として、当時建物のまま営業している。1987年1997年大改修行い客室86室)には近代的な設備整えられた。エントランスホール宴会場などは当初クラシカル装飾維持されている。 設計太田毅(南満州鉄道技師推定構造鉄骨煉瓦造地上4階地下1階着工1909年6月基礎工事起工1911年建物着工 竣工1914年3月 延床面積11,376m2 現所在地中華人民共和国遼寧省大連市中山広場4号 保護区分 - 全国重点文物保護単位大連中山広場近代建築群

※この「大連ヤマトホテル」の解説は、「ヤマトホテル」の解説の一部です。
「大連ヤマトホテル」を含む「ヤマトホテル」の記事については、「ヤマトホテル」の概要を参照ください。

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