大連人民文化クラブ
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ナビゲーションに移動 検索に移動大連人民文化クラブ(簡体字: 大连人民文化俱乐部、英語:Dalian People's Culture Club)は中国・大連の中山広場にあるコンサートホール・劇場で、演奏会・劇・バレエなどの文化活動に使用されている。
歴史
大連人民文化クラブの歴史は次のようである。 [1]
- 1950年、新中国建国直後ソ連の軍隊が旅大市に駐屯している期間に、ベラルーシ人を長とするソ連チームの設計で建設開始。
- 1951年、竣工。名称「大連人民文化クラブ」は郭沫若が命名した。[2]
- 1953年、周恩来・劉少奇・宋慶齢などの中央委員が来連し、内外の客を招いて祝宴。
- 1995年、第一次改修
- 2008年、第二次改修
ホールの特徴
一階は600席あり、二階は400席で、合計1000席があり、[3] 大連市の中心部である中山広場にあり、内外の人々による演奏会、劇、バレエなどがここで公演されている。
大連市のコンサートホール
大連市では次のようなコンサートホールが使われている。
- 大連開発区大劇院
- 大連人民文化クラブ
- 大連電視台のオーディアトリアム
- 大連理工大学の講堂
- 大連海事大学の講堂
- 世界博覧広場(星海広場)の3Fの多効能庁
- 大連青少年宮のオーディアトリアム
- 大連市44中学(音楽才能教育クラスあり)の講堂
このうち2006年に完成した大連開発区大劇院が一番良いとされているが、大連市街地区から離れているので、 [4] 特に有名な外国から訪問する交響楽団、バレー団の公演は大連人民文化クラブで行なわれる。大連電視台のオーディアトリアムは、通常の録画演奏会以外に、春節・中秋節に外国人向けの無料音楽会によく利用されている。
余話
外国からの重要な交響楽団などの演奏会には、市長・党書記などの政治的リーダーがよく参加する。アンコールの最後にはラデツキー行進曲が演奏され、みんなの拍手の中をリーダーたちが退場する習慣がある。
脚注
- ^ 百度百科:大連人民文化倶楽部 (中国語)
- ^ ロビーに飾られている「大連人民文化倶楽部 簡介」(中国語、2008年)から
- ^ 大連百科:大連人民文化倶楽部 Archived 2008年12月26日, at the Wayback Machine. (中国語)
- ^ 大連開発区大劇院の紹介 (中国語)
関連項目
大連人民文化クラブ
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「大連中山広場近代建築群」の記事における「大連人民文化クラブ」の解説
詳細は「大連人民文化クラブ」を参照 新中国の設立間もなく、ソ連軍がまだ旅順・大連に駐屯し、中山広場の旧関東逓信局がソ連軍司令部で、旧横浜正金銀行がソ連の極東銀行支店になり、旧関東逓信局はソ連軍大連警備本部であった困難な時期の1950年に、コンサートホール兼劇場としての大連人民文化倶楽部を建設している。日本が大連を租借中も映画館・小劇場はあったが、これほど大規模な文化施設は建設されず、現在も大連市の主要な文化施設として、内外の演奏家・演劇家に利用されている。 設計はソ連チームで、リーダーはベラルーシ人のナジェフ。 1995年、2008年の2回にわたる全面改修を経て、現在の収容人員は一階が600席、二階が400席。
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