大気汚染問題と火力発電所建設計画
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「田子の浦港ヘドロ公害」の記事における「大気汚染問題と火力発電所建設計画」の解説
製紙工場の増加・拡大は電力需要の増加を意味し、東京電力は安定供給のため火力発電所の建設を計画した。1968年3月に東京電力は富士市に協力要請をし、併せて計画書概要を提出した。しかしこの頃の富士市は既に大気汚染問題を抱えていたため、火力発電所が大気に影響するかどうか確認が必要であった。富士市は同年4月に「火力発電所対策室」を設置し、調査研究を進めることとした。また同月に、住民運動団体である富士市公害対策委員会が結成されている。 東京電力の計画では公害予防のため煙突の高さを200mとするとしており事前に対策を講じていたが、住民の反発は大変に強いものであった。これは大気汚染を危惧するためであるが、火力発電所反対運動は過熱を見せ、1968年12月には12,725人分の既存公害絶滅と火力発電所建設阻止の請願書が提示された。同年12月11日富士市は市長名を以って東京電力に対し火力発電所建設計画に関する条件を提示した。13日には東京電力より条件に対する正式回答があり、全項目を受け入れるという意思が提示された。次年には市の特別委員会により火力発電所建設が了承され、市議会全員協議会にて報告されるという最終段階に入った。しかし協議会開会直前になり火力発電所建設に反対する約300人が乱入し、協議会は延長された。延長後の総務・厚生両委員会にも反対派300人が駆けつけたため場所を変更し富士市役所本庁舎で行うこととしたが、やはり反対派が集まることとなった。 特に1969年3月の富士市議会3月定例会議は大変な騒ぎとなり、流血騒ぎとなった。反対派1,500人が会場に集結したため警察官の導入が要請され、200人の警官が集結した。この乱闘事件では2人の運動指導者が逮捕された。これらの騒ぎにより議会を開催できなかったため、午後5時以降にひそかに再開し6時15分に閉会した。その後市議会が休会であっても500名近い反対派が集結し、市議会が開催される日には1,500人が集結した。こうした連日の騒ぎから富士市議会は異例中の異例である真夜中に開催されることとなったが、これさえもデモ隊によって大混乱となった。富士市議会3月定例会は火力発電所建設問題は審議未了のまま終わった。 同年11月、市議会全員協議会の中で火力発電所建設問題についての特別委員長報告を求める緊急動議が提出され、富士市として設置を妥当とする最終結論が提出された。このようにいったん設立は許可されたものの、世間の公害問題への注目もあり、頓挫することとなった。
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