大東文化学院教授時代〜岩手県前沢疎開
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「藤塚鄰」の記事における「大東文化学院教授時代〜岩手県前沢疎開」の解説
朝鮮から帰国した鄰は昭和15年(1940)に、大東文化学院(現:大東文化大学)教授に就任。大東文化学院は、漢学儒学を重視した教育の場として、帝国議会衆議院本会議の議案可決により大正12年(1923)設立された教育機関である。 鄰は、京城帝国大教授としてソウルに赴任して以降、没後70年が経過した金正喜(キムジョンヒ1786 - 1856)が手掛けた書画や関連書籍を収集。「歳寒図」はその中で特に愛着が深く、昭和14年(1939)に自らの還暦を記念して印影本を100部制作して知人らに配った。 藤塚は手塩にかけた「歳寒図」を日本に帰国する際に持ち帰ったが、それを売ってほしいと、藤塚の東京の自宅を2カ月間1日も欠かさずに訪ねたのが、韓国人書家の孫在馨(ソンチェヒョン1903 - 1981年)だった。藤塚は「私は朝鮮の文化財を愛するあなたの誠の心に感嘆した。私たちは正喜を師として尊敬する同門だ」と在馨を認め、終戦直前の昭和19年(1944)、作品を無償で譲った。 後に「歳寒図」は韓国国宝に指定された。2021年、ソウルの国立中央博物館が、大韓民国指定国宝に指定された金正喜の絵画「歳寒図」(セハンド)の特別展を開催。藤塚が日本統治下のソウルで購入して東京に持ち帰った同作を太平洋戦争末期に、韓国人書家に無償で譲った逸話など、知られざる日韓の文化交流史に光を当てている。 無償譲渡から三か月後、鄰の東京の自宅はアメリカ軍の空襲で全焼。結果的に「歳寒図」は焼失を免れ、鄰は岩手県前沢の生家に疎開し、親族知人との旧交を温めることになった。 疎開中に鄰は親戚縁者に、20点余りの儒学や信念に基づいた書を残している。贈られる側の職業や志、名前にちなんだ書からは、鄰の心遣いが感じられる。他にも写真、書籍、手紙、「歳寒図」複写本と解説、直筆原稿等の資料が地元に残っている。 終戦直後の昭和20年(1945)秋には一関第二高等学校で講演を行い、講演の内容に関わる論語の一説を揮毫し関係者に贈っている。「君子敬而無失、與人恭而有禮、四海之内、皆爲兄弟也」「君子たるものが行いを慎んで落ち度がなく、他人と交わって礼儀正しかったら、世の中の人は残らず兄弟となる」
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