大東流修気会の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/29 07:46 UTC 版)
「西郷派大東流合気武術」の記事における「大東流修気会の時代」の解説
昭和42年に発足した大東流修気会においては、流派のルーツが不明瞭のままであり、唯一の手がかりは山下芳衛が残した「わが流は大東流という」の一言だけであった。道場の運営上、流脈の説明が必要になった際には、その当時に隆盛であった合気道の本から、大東流に関連する項をそのまま引用して、新羅三郎義光を流祖とする大東流合気柔術の一派であると説明していたこともある。当時の演武会のパンフレット等にはそのような歴史観が記述されているが、「これは当時の大東流修気会のメンバーが、武田惣角系の大東流を論じた合気道の書物から引用したコピー、捏造である」ということを、後になって二代宗家の曽川和翁が言及している。 またこの時代は、流派のルーツを武田惣角系の大東流と同根であると定義していたため、合気柔術や合気武道を名乗って指導も行っていた。大東流修気会の機関雑誌や演武会のパンフレットでは、総じて武田惣角系大東流の歴史観を引用しているが、それは大東流という自流のルーツを武田惣角系の大東流に求めた結果であるようだ。なお、この当時の歴史観は、当時の大東流修気会で理事長を務めていた人物が中心になって採用したと言われている。 いずれにしてもこの時代は、西郷派大東流のアイデンティティは確立せず、自流のルーツを求めて迷走していたようである。
※この「大東流修気会の時代」の解説は、「西郷派大東流合気武術」の解説の一部です。
「大東流修気会の時代」を含む「西郷派大東流合気武術」の記事については、「西郷派大東流合気武術」の概要を参照ください。
- 大東流修気会の時代のページへのリンク