大日本帝国 - ロシア帝国時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:12 UTC 版)
「北方領土問題」の記事における「大日本帝国 - ロシア帝国時代」の解説
1868年-1869年明治維新によって江戸幕府が解体し、その領土が大日本帝国へと継承された。 1869年(明治2年)蝦夷地を北海道と改称。このとき国後島・択捉島の行政区分をあわせて「千島国」とし五郡を置いた。 1875年日本とロシアは樺太・千島交換条約を結び、「クリル群島(仏: le groupe des îles dites Kouriles、千島列島)」の全島を日本領とした。また樺太(当時まで日本とロシアの共同統治としていたが、両国民の紛争が絶えなかった)をロシア領とした。 なお、この条約はフランス語が正文であり、これに基づいて日本語訳が作られたが、この翻訳は不正確なものだった。不正確な日本語訳に基づいて、得撫島以北が千島列島であるとの解釈がなされたことがある。 条約締結後、当時の日本国内の行政区分で「千島国」と定められていた国後島・択捉島に、得撫島以北を編入し、国後島から占守島までが千島国になった。 一方、樺太および千島列島の先住民であったアイヌは、この条約によって3年以内に自身の国籍について日本国籍かロシア国籍かを選ぶことを強要された。さらに国籍と居住国が異なる場合、居住国を退去して国籍と一致する国の領土へ移住することを余儀なくされた。 (1904年-1905年 日露戦争。ポーツマス条約により樺太の南半分が日本に割譲された)
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