夕刊東京日日新聞とは? わかりやすく解説

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夕刊東京日日新聞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 14:18 UTC 版)

東京日日新聞」の記事における「夕刊東京日日新聞」の解説

太平洋戦争後の1948年昭和23年12月4日に、毎日新聞社系列会社である東京日日新聞社による新興夕刊紙として「東京日日新聞」が“復刊”した(題字復活したが、号数1号から数えていた)。復刊(新創刊)の背景として、終戦直後用紙統制既存紙より新興紙に多く割り当てられる事が挙げられる。このとき勃興した新興紙として1945年12月民報社より「民報」が創刊され1947年8月東京民報」に改題した後、民報社は鈴木郁三買収され、更にその鈴木毎日新聞社手を組んだことで「東京民報」は1948年11月30日をもって終刊民報社が東京日日新聞社改称して「東京日日新聞」を新創刊した。既存紙もダミー子会社設立して用紙確保しようと腐心していた時期であり、毎日新聞社もまた新興紙の買収といった形で東京日日新聞復刊(新創刊)したのであるが、翌1949年昭和24年11月27日毎日新聞東京本社による夕刊紙夕刊毎日新聞」の発行1951年昭和26年10月1日毎日本紙夕刊切り替え)で競合したため、内容娯楽中心に変更高田保時事エッセイブラリびょうたん」の企画好評博した1954年昭和29年9月1日より朝刊紙に転換した退勢挽回できず、1955年昭和30年8月31日をもって休刊となった東京日日新聞社編集局有楽町毎日新館に置き、印刷毎日新聞東京本社委託したが、既存会社買収した経緯から会社組織そのものは全くの別会社装っており、資本構成毎日新聞社の名はなかった。その後毎日新聞社サン写真新聞社、スポーツニッポン新聞社とともに連名イベント開催するようになったが、逆に印刷東京日日新聞印刷工場港区設立して独立した。この新生東日紙面構成一日概ね4頁で、1面総合面(政治経済)であり、毎日新聞夕刊引き継がれる近事片々」も戦前に引き付き掲載されていた。2面スポーツ家庭面であり、毎日新聞主催都市対抗野球選抜高校野球プロ野球毎日オリオンズ記事多く掲載された。3面社会面であり、正真正銘の「三面記事」が載った4面芸能面で映画演劇主だが、放送番組を扱う場合主としてラジオ東京(JOKR)の記事多く載っていた。

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夕刊東京日日新聞

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東京日日新聞」の記事における「夕刊東京日日新聞」の解説

1948年12月4日 東京日日新聞社より夕刊紙として新創刊1954年9月1日 朝刊転換

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