増床と他の大型店と競争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 17:02 UTC 版)
「うすい百貨店」の記事における「増床と他の大型店と競争」の解説
1959年(昭和34年)には郡山市中町にあった丸伊デパートを買収して「第2うすい」として増床し、1965年(昭和40年)には年商33.0億円(売場面積7,565m2)を上げて福島市の地域一番店だった中合の年商24.5億円(売場面積7,028m2)を上回って福島県全体の地域一番店となり、東北地方全体でも仙台市の3百貨店(藤崎:43.4億円、丸光:42.3億円、三越:41.5億円)に次ぐ4番目の売上を上げるまでに成長した。 1970年(昭和45年)には株式会社うすい百貨店として分離独立し、同年12月14日に仙台市から進出してきた丸光や地場の呉服店が百貨店化した津野本店、1969年(昭和44年)進出してきたイトーヨーカドー、1975年(昭和50年)に進出してきた西友(1年後の1976年(昭和51年)11月6日に郡山西武店(郡山西武)となる)やダイエー、丸井などの大型店と激しい競争を繰り広げた。特に反対側の大町にあったダイエーとは、開店時には価格面において極端な値下げが行われるなど全面戦争状態と化した。 そして、1980年(昭和55年)に丸光撤退、1986年(昭和61年)3月に津野本店廃業、1988年(昭和63年)にイトーヨーカドー撤退、1994年(平成6年)にダイエーをディスカウントストア業態のトポスでも存続できず撤退させるなど並み居る競合の大型店を撤退や廃業に追い込んで生き残った。 この当時のうすいは、中央商店街の通りを挟んだ「第1うすい」「第2うすい」の2棟体制営業され、日本百貨店協会には加盟していなかった。
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