塚原古墳群
名称: | 塚原古墳群 |
ふりがな: | つかわらこふんぐん |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 熊本県 |
市区町村: | 下益城群城南町 |
管理団体: | |
指定年月日: | 1976.12.27(昭和51.12.27) |
指定基準: | 史1 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | 平成2.06.28 |
解説文: | S51-12-020[[塚原古墳群]つかわらこふんぐん].txt: 熊本平野の南端、浜戸川と支流が形成する塚原台地上に営まれた古墳群である。九州縦貫自動車道の建設に伴い熊本県教育委員会が事前発掘調査した結果、厖大な数の方形周溝墓、前方後円墳、円墳などを検出して注目をあびた。 自動車道用地内では、塚原台地は、南・北の2つの丘陵に岐れているが、その南側の丘陵の上にも北側の丘陵上にもこうした古墳が営まれている。調査の結果では、方形周溝墓39基、円墳・小円墳34基、前方後円墳1基、石棺18基、石蓋土拡1基が用地内で発見されている。方形周溝墓は比較的大規模なものが北丘陵上の南に集中しており、北には小規模なものが集中している。また円墳・小円墳中、大規模なものは、北丘陵の南・北部に点在しているが、南丘陵では専ら南縁に大規模なものが、北縁に小規模なものが集中する傾向がみられた。 前方後円墳は、3基が所在したと伝えられているが、現在琵琶塚古墳、花見古墳が見られる。調査地は、九州縦貫自動車道用地に限定されているが、なお、この種の遺構が広く東西にひろがることは十分に推察されるところであり、その厖大な遺構の在り方は他に例を見ないものとして注目されるところである。なお、昭和50年、この塚原台地全域を試掘調査し、その遺跡のひろがりを明確にし、この丘陵の低みに集落が営まれていることを確認している。 自動車道用地内調査の結果、この地域における古墳時代前期末から後期後半にわたる墓制が方形周溝墓、円墳ともに共存しながら展開することが知られており、加えてその両者ともに規模に画然たる違いを見るだけでなく、首長墓とされる前方後円墳をも見るなど、集落の内部における身分的な差が明確に古墳群の上に示されており、中部九州におけるこの地域を窺う極めて重要な古墳群とみられるのである。 |
塚原古墳
(塚原古墳群 から転送)
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塚原古墳
- 塚原古墳群 (多摩市) 東京都多摩市和田にある古墳群。古墳時代後期の古墳群。
- 塚原古墳群 (飯田市) 長野県飯田市にある古墳群。飯田市史跡に指定されている、全長約67mの前方後円墳である塚原二子塚古墳などがある。
- 塚原古墳 (志摩市) 三重県志摩市にあった円墳。現在消失。
- 塚原古墳群 (高槻市) かつては15群・約110基を数えた大阪府高槻市の古墳群で、塚原八十塚と呼ばれていた。1872年、ウィリアム・ゴーランドによって世界に発表され、古墳研究の先駆けになった古墳。
- 塚原古墳群 (熊本市) 熊本県熊本市南区にある古墳群。国の史跡に指定。塚原古墳公園として、前方後円墳、方形周溝墓、円墳他77基の古墳群とともに整備されている。周辺地域も含めて調査済が203基、未調査のものを含めると500基近くあるのではと考えられている。
- 塚原古墳 (山鹿市) 熊本県山鹿市にある9基の円墳からなる岩原古墳群のうちの一つ。国の史跡に指定。近くに県史跡指定の岩原横穴群がある。
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塚原古墳群(つかっぱらこふんぐん)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 14:02 UTC 版)
「稲荷塚古墳」の記事における「塚原古墳群(つかっぱらこふんぐん)」の解説
6世紀中頃から7世紀中頃までの100年間にわたり造られた古墳群である。江戸時代後期の『新編武蔵風土記稿』には「古墳が元禄の頃には40~50基あったが、14、5基に減少した。」とされている。しかし現在までに確認されているのは10基である。川原石を用いた横穴式石室を持つ円墳の古墳群であり、副葬品が多数出土している。
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