堀ノ内営業所として発足
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 19:58 UTC 版)
「都営バス杉並支所」の記事における「堀ノ内営業所として発足」の解説
杉並支所の直接の前身は、環七通りの「堀ノ内」停留所にほど近い、現在は「都営堀の内三丁目アパート」が所在する地に存在した堀ノ内営業所である。1932年(昭和7年)に「青バス」の名称で親しまれた東京乗合自動車によって開設された。東京乗合自動車は当時すでに東京市内(東京都心)に多くの路線を持ち好成績を上げていた。その中で堀ノ内営業所は、青梅街道を経由して、杉並・中野などの郊外と、青梅街道の起点である新宿、さらに都心方面とを結ぶバス路線を運営していた。やがて1938年(昭和13年)に東京乗合自動車は、日本初の地下鉄(現在の東京メトロ銀座線)を運営していた東京地下鉄道に買収されるが、運行形態に特段の変動は生じなかった。 しかし日中戦争・太平洋戦争が始まり戦時統制が厳しくなると、「青バス」は決定的な転機を迎えた。政府は1938年(昭和13年)陸上交通事業調整法を制定し、日本各地に乱立していた交通事業者の整理に一挙乗り出した。この中で東京市内にあっては、旧東京市内(東京15区)のバスはすべて東京市に統合、旧東京市内以外のバスは地域を4ブロックに分けて各ブロックごとに、東京横浜電鉄(現:東京急行電鉄、いわゆる「大東急」)、武蔵野鉄道(現:西武鉄道)、東武鉄道、京成電気軌道(現:京成電鉄)がそれぞれ統合主体とされた。これに従えば本来、堀ノ内営業所の営業エリアは東京横浜電鉄が統合主体となるブロックに属することになり、青梅街道沿線を除けば、現在杉並区や中野区を営業エリアとしているバス会社は大東急に合併された関東バスと京王バスであるが、旧市内へ連絡する路線を持っていた堀ノ内営業所は「青バス」ごと東京市に統合されることとなった。これが現在の都営バスの一部となった起こりであるが、こうした歴史的経緯から戦後より現在に至るまで、青梅街道沿線では都営バスが営業権を持っているとされる。 戦後に都営バス堀ノ内営業所として発足してからは、1949年(昭和24年)に堀ノ内自動車営業所青梅支所が青梅市に置かれ、阿佐ケ谷駅から青梅街道をひたすら西進して青梅支所まで至る301系統(現:梅70系統)が開設している。都営バスが青梅街道沿線の営業権を保有していたからこそこうした長距離路線が開設できたこととなるが、後に梅70系統は経路短縮により23区内へ乗り入れなくなり、青梅支所管内は都営バスとしては孤立した営業エリアとなっている。
※この「堀ノ内営業所として発足」の解説は、「都営バス杉並支所」の解説の一部です。
「堀ノ内営業所として発足」を含む「都営バス杉並支所」の記事については、「都営バス杉並支所」の概要を参照ください。
- 堀ノ内営業所として発足のページへのリンク