坂井郡一市構想
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「坂井郡#平成の大合併」も参照 2002年(平成14年)1月23日、坂井郡6町の総務課長で構成する「坂井郡合併検討委員会」を設置し、同時に南部3町(丸岡町・春江町・坂井町)と北部3町(三国町・芦原町・金津町)による部会を併せて、それぞれ設置した。その後、坂井郡6町による任意の合併協議会の設立が提案されるも、同年7月10日に協議会の設立を断念した。しかし南部と北部の3町ずつを基本とした合併の枠組みは維持し、引き続き検討を行った。 北部3町では2002年(平成14年)7月31日に三国町、芦原町、金津町の3町長が3町合併について意見交換し、前向きに考えるとしながらも時間的制約から現時点での3町合併は困難であるとした。三国町が離脱した形で同年8月21日には「芦原町・金津町合併準備会」、10月1日には法定の「芦原町・金津町合併協議会」を設置し、北部2町で2004年(平成16年)3月1日に「あわら市」が発足した。 一方、南部3町では2002年(平成14年)8月21日に丸岡町、春江町、坂井町の3町長による合併問題三者会議を開催し、3町合併の枠組みを残しながらも春江町と坂井町の2町で先行合併を推進することに合意した。 春坂市構想 2002年(平成14年)12月2日、「春江町・坂井町合併協議会」を設置した。春江町は2004年(平成16年)3月15日に、隣の坂井町と合併して「春坂市」になる予定だったが、2003年(平成15年)8月13日に坂井町長からの「合併一年延期」の申し入れによって、8月20日に予定されていた合併調印式を延期した。(元をたどれば、県内の町では一番人口が多い丸岡町と、競艇場のある三国町が合併に積極的ではなかった) しかし、春江町は「2004年3月合併」の期限を堅持することを確認。8月27日の区長会で、当時の春江町長が坂井町長の態度を理由に「合併白紙」を宣言し、9月3日には記者会見で合併白紙を正式に発表した。 これにより、あわら市に次ぐ県内二番目の新市誕生は幻になった。 4町合併による坂井市の発足 2004年(平成16年)4月27日、三国町長が坂井郡4町での合併を模索する意向を示した。2003年末には坂井町長が丸岡町と三国町に合併の打診をし、春江町長も福井市への編入を示唆していたのだが、春坂市のしこりが残る坂井郡を一つにまとめようと、あわら市との将来的な合併も視野に入れての提案だった。6月15日に「坂井郡四町合併準備会」、8月20日に法定の「坂井郡四町合併協議会」を設置し、協議も順調に進んで、11月16日には新市名を「坂井市」とすることまで決まった。 しかし、12月21日には春江町長が「町の主張が通らない」として一方的な合併離脱を表明するなか、同年末に福井市長と合併に関する事項を話した(福井市長の記者会見回答による)とされる面談を行うなど、町長の突飛な行動に町議会からの反発も起きた。2005年(平成17年)2月には春江町長が協議への復帰を表明。3月3日には、最後まで決まらなかった「庁舎を坂井町に置く」という項目も受け入れて、3月17日に合併調印式を行った。その後、各町議会の可決、7月5日に福井県議会での可決を経て、8月29日に告示された。 この間、春江町では町政に混乱を来した、として住民が町長のリコールを町選挙管理委員会に請求。合併調印後の2005年(平成17年)4月にその選挙告示を控えた町長が自らその職を辞する結末を迎えたが、その直前に助役、収入役も辞職していた。5月に新人候補2名の町長選挙を経て当選者が就任するまでの間、一般職の総務課長が町長職務代理者を務める異常事態となった。
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