地域経済社会への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 10:17 UTC 版)
「呉市海事歴史科学館」の記事における「地域経済社会への影響」の解説
大和ミュージアムの盛況に伴い、呉も広島湾一帯の観光ツアーに組み込まれるようになった。そのため、岩国市(錦帯橋)、廿日市市(宮島)、広島市(原爆ドーム・広島平和記念公園・広島城)を訪れる前後に来館する観光客も少なくない。呉市は周辺都市と広域行政に取り組むようになり、広島市・廿日市市とともに修学旅行の誘致事業も行っている。また戦後の広島湾岸諸都市の間には、広島が「軍都」から「平和都市」となる一方、呉・岩国・江田島が、広島のみならず日本の平和を守る自衛隊や在日米軍の拠点を担うという「分業」が存在した。広島は「軍事と平和」という二項対立のもと、「周辺都市の軍事拠点を隠し続けることで平和都市としての機能を維持している」という一部の政党や市民団体による見方もあった。しかし、多くの観光客が大和ミュージアムと平和記念公園を往来するようになると旧来の二項対立構造は瓦解し、この地域における「軍事と平和」は観光面で融合を果たしたとされる。 2005年には広島県の観光客数・観光客県内消費額が過去最高(当時)となり、大和ミュージアム開館が大きな一因であるとされた。呉市の観光客も2005年以降は年間300~350万人に増え、観光都市に成長した。この結果、県も大和ミュージアムを県観光の代表的・象徴的拠点として積極的に利用するようになり、2011年にはここで広島県と島根県の交流会議が開かれ、両県の観光ルート開拓が話し合われた。一方で、呉市の宿泊客はほぼ増えておらず、大和ミュージアムを訪れた観光客も広島市などで宿泊している人が多いと考えられている。そのため経済効果を市全体に広げる必要があるとされている 多くの人が訪れるようになった大和ミュージアムは呉の社会経済の中核的存在として機能するようになり、市の商業中心地は大和ミュージアムと呉駅の間に移動した。既存の文化施設・商店街は人通りが減ったため利用客数・店舗数等の減少が見られた。そのため、集客力ある大和ミュージアムの来館者を呼び込むために、れんが通り(旧中通り)で大和ミュージアムの姉妹館「ヤマトギャラリー零(ZERO)」がオープンした。ここでは大和ミュージアムの名誉館長・松本零士の漫画作品・収集コレクションなどを展示している。
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