地井武男の音楽旅行とは? わかりやすく解説

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音楽旅行

(地井武男の音楽旅行 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/15 04:21 UTC 版)

音楽旅行(おんがくりょこう)

  1. 文化放送で放送していたラジオ番組地井武男の音楽旅行』『音楽旅行』。
  2. フジテレビ1990年-1991年に放送していた深夜番組『音楽旅行』[注釈 1](企画・制作:イザワオフィス)。
本項目では1について述べる。

全薬工業 ヘルシーサンデー
地井武男の音楽旅行

全薬工業 ヘルシーサンデー 音楽旅行

音楽旅行
ジャンル 音楽番組
放送期間 1997年4月6日 - 2012年9月30日
放送時間 日曜日17:00 - 17:27(27分)
(その他の地域は各30分)
放送回数 700回以上
放送局 文化放送
ネットワーク NRN
パーソナリティ 地井武男(1997.4 - 2012.2)
吉田涙子
提供 全薬工業(1997.4 - 2012.8)
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地井武男の音楽旅行』(ちいたけおのおんがくりょこう)そして『音楽旅行』(おんがくりょこう)は、1997年4月6日から2012年9月30日まで、文化放送キーステーションに放送していた音楽ラジオ番組。毎週日曜日17:00 - 17:27に放送していた。

本項では主に『地井武男の音楽旅行』時代について述べる。

概要

地井武男俳優)と吉田涙子(放送当時は文化放送アナウンサー)の掛け合いによるトークとともにテンポよく展開していく、文字通り「音楽とトークの番組」。放送回数は700回以上に上る。開始当初から2012年8月までは地井がイメージキャラクターを勤めた全薬工業一社提供だった。

歴史

地井武男の音楽旅行

  • 1997年4月6日に放送を開始した。
  • 全薬工業の一社提供であったため、文化放送では『全薬工業ヘルシーサンデー 地井武男の音楽旅行』のタイトルだった。また、地方局時差ネットの場合、全薬工業の冠はつかず『地井武男の音楽旅行』となっていた。
  • 1995年[1]から1997年に土曜日ナイターオフ枠で生放送していたワイド番組『ぶんか茶屋 土曜開店18時』に出演していた地井武男が続投する形で、1997年4月6日から日曜日の夕方枠で放送を開始した。以来、地井の気さくな人柄と、吉田との掛け合いによるディスクジョッキーノリの軽快なトークが人気を博す。この番組において吉田は「D.J.ルイコ・ヨシダ」を名乗っていた。
  • 地井の歌った「まだまだ」「人生これから」や「OH!散歩日和」(生稲晃子とのデュエット[注釈 2]といった曲も番組内でかけられていた。
  • 2007年には放送回数が500回を数えた。
  • 地井が2012年1月に心臓疾患により入院し、療養のため2月26日放送分より降板した。2月26日は吉田涙子が単独で、3月4日の放送以降も俳優らが月替わりでピンチヒッターの形で、吉田とともにパーソナリティを務めた[2]参照)。文化放送はその間も、地井の回復を待つ方針をとってきた[3][2]
  • なお、地井の名前を冠したタイトルは地井が亡くなる6日前の2012年6月24日放送分まで使用された。

地井の死去と番組の終了

  • 2012年6月29日、地井が心不全のため死去(70歳没)したのにともない、7月1日の放送より地井の冠が外れ『全薬工業ヘルシーサンデー 音楽旅行』のタイトルで継続した。吉田も続投の形で、7月は東貴博Take2)、8月からは宮川彬良作曲家)がそれぞれパーソナリティを担当した。
  • 2012年8月末で全薬工業はスポンサーを降板し「全薬工業ヘルシーサンデー」の冠が外れ、2012年9月2日の放送より『音楽旅行』のタイトルで継続した(地方局時差ネットは7月よりこのタイトルだったが、詳しい放送状況は不明)。
  • 2012年9月30日をもって番組を終了し、15年半の歴史に幕を閉じた[4]。最終回では吉田が単独で進行を務め『地井武男の音楽旅行』時代の音源をまとめた総集編による構成となり、最後は地井が入院する前の同年1月1日放送分のトークを放送した。また、当日は放送当時の音源を使用して地井によるかつてのタイトルコールも復活させた。「全薬工業ヘルシーサンデー」の冠はつかず、全体的にCM無しで放送された。

主なコーナー

ここでは『地井武男の音楽旅行』時代に行われていたコーナーを取り上げる。

  • オープニング~今日の1曲目
曲をBGMにしながら、今週のテーマを告知する。
  • ヒットソングメドレー
今週のテーマを元に選曲し、各曲のサビをBGMに出演者が思い出やエピソードを語り合うトークコーナー。
  • 地井武男ベストセレクション
地井武男の過去のエピソードから、自身が選曲した「今週の1曲」を掛け、思い出を語る。
  • ほっと一息、心の元気タイム
全薬工業のインフォマーシャル。吉田涙子が生活のワンポイントを紹介する。
  • エンディング
曲をBGMにしながら、メッセージの応募方法などを告知する。
メッセージが採用されたリスナーに地井のイラスト入り特製湯呑み茶碗が贈呈されていた。

パーソナリティ

地井武男の降板後

放送時間

  • 毎週日曜日17:00 - 17:27

ネット局

途中から放送開始、もしくは終了した局も含む

ほか。ナイターオフなどに放送していた局もあった。

備考

脚注

注釈

  1. ^ 佐伯伽耶の音楽旅行』と表記する場合もあった(ファミリー劇場再放送時の番組表・ウェブサイトにおける記載など)。
  2. ^ 地井のレギュラー番組である『ちい散歩』(テレビ朝日)のテーマ曲に使用されていた。
  3. ^ 佐賀県はNBCラジオ佐賀
  4. ^ 2021年現在『じゅん散歩』で散歩人を務めている高田純次も文化放送でレギュラー番組(現在は『純次と直樹』)を持っており、ロケ中に当時の同局アナウンサー八木菜緒(現在はBS11アナウンサー)に遭遇したことがあったほか、平日の帯番組『大竹まこと ゴールデンラジオ!』の生放送に乱入したこともある。

出典

  1. ^ 文化放送会社案内-番組史-
  2. ^ a b “文化放送社長、地井武男の「回復待つ」”. 日刊スポーツ. (2012年2月21日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20120221-906930.html 
  3. ^ a b “文化放送、地井武男の帰り待ちます!”. サンケイスポーツ. (2012年3月20日). オリジナルの2012年4月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120413211301/http://www.sanspo.com/geino/news/20120320/oth12032005010005-n1.html 2012年8月24日閲覧。 
  4. ^ “地井さんラジオ「-音楽旅行」30日に最終回”. サンケイスポーツ. (2012年9月15日). オリジナルの2012年9月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120916231207/http://www.sanspo.com/geino/news/20120915/oth12091505010001-n1.html 
  5. ^ “「地井武男の音楽旅行」は東幹久に”. 日刊スポーツ. (2012年4月18日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20120418-936059.html 
  6. ^ ブルーガイドムック『ちい散歩2』(地井武男監修、実業之日本社)106-111頁「浜松町から新橋界隈」の項で、地図に文化放送の位置が記載されている。
  7. ^ ブルーガイドムック『ちい散歩2』(地井武男監修、実業之日本社)105頁、『ちい散歩 地井さんの絵手紙 第1集』(同、新日本出版社)20-21頁。

関連項目


地井武男の音楽旅行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/25 10:41 UTC 版)

音楽旅行」の記事における「地井武男の音楽旅行」の解説

1997年4月6日放送開始全薬工業一社提供であった為、文化放送では『全薬工業ヘルシーサンデー 地井武男の音楽旅行』のタイトルだった。また、地方局時差ネット場合全薬工業の冠はつかず『地井武男の音楽旅行』となっていた。 1995年1997年土曜日ナイターオフ生放送されていたワイド番組『ぶんか茶屋土曜開店18時』に出演していた地井武男続投する形で、1997年4月6日日曜日夕方枠にて放送開始以来、地井の気さくな人柄と、吉田との掛け合いによるディスクジョッキーノリの軽快トーク人気を博す。この番組において吉田は「D.J.ルイコ・ヨシダ」を名乗っていた。 地井の歌ったまだまだ」「人生これから」や「OH!散歩日和」(生稲晃子とのデュエット)といった曲も番組内でかけられていた。 2007年には放送回数500回を数えた。 地井が2012年1月心臓疾患により入院療養のため2月26日放送分より降板2月26日吉田涙子単独で、3月4日放送以降俳優らが月替わりピンチヒッターの形で、吉田とともにパーソナリティ務めた参照)。文化放送その間も、地井の回復を待つ方針をとってきた「地井武男#最期」も参照 なお、地井の名前を冠したタイトルは地井が亡くなる6日前の2012年6月24日放送分まで使用された。

※この「地井武男の音楽旅行」の解説は、「音楽旅行」の解説の一部です。
「地井武男の音楽旅行」を含む「音楽旅行」の記事については、「音楽旅行」の概要を参照ください。

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