国際興業傘下へ
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要請を受けた国際興業では反対意見もあったが、小佐野賢治が開発が遅れていた北東北に進出する好機と捉え、要請に応じることに決定。国際興業が丸善石油保有の秋北バス株式を譲り受け、1962年12月18日に小佐野が会長に就任し、秋北バスは国際興業グループ入りした。1964年9月12日には秋北観光が、続いて、同年12月25日に能代市で旅館やハイヤー業を営んでいたゆりかご観光の全株式を秋北バスが取得。商号を秋北タクシーに改め、それぞれが国際興業グループ傘下に入った。 国際興業グループ入り後、秋北バスでは過疎化やモータリゼーションの進行でバスの乗客が減る傾向にあったため、国際興業は貸切部門の充実や観光施設の拡充に重点を置く方針を打ち出した。これに沿って1973年5月、大館市の旧本社跡地に秋北バスターミナル併設で地上12階、地下1階の秋北ホテルをオープンさせた。同ホテルの施設規模は開業時には、北東北随一といわれた。このほか、1965年10月には大湯温泉スキー場(鹿角市)の経営に乗り出したほか、1975年5月からは十和田湖で遊覧船の運行も開始した。また、1982年10月には八幡平・秋北レストハウス(鹿角市八幡平)を装いを新たに再オープンした(後年、大湯温泉スキー場と八幡平・秋北レストハウスは閉鎖し、十和田湖での遊覧船事業は撤退した)。 さらに1998年7月18日の大館能代空港の開港に併せ、全日空と大館能代地区総代理店契約を締結し、同年4月1日、子会社の秋北航空サービスを設立した。2014年7月、全日空が青森空港に伊丹、新千歳線を就航させる際には、青森地区総代理店契約も締結している。 2003年頃から国際興業の経営危機が取り沙汰された。その影響から秋北バスは同年度からバス事業に経営を集中する合理化計画を策定、同年10月1日にホテル運営を手がける秋北ホテルを新設して会社から分離し、同年11月1日に秋田市内でホテルパールシティ秋田などを運営するホテルマネージメントインターナショナルに秋北ホテルを譲渡。譲渡に伴い、秋北ホテルはホテルクラウンパレス秋北に改称した。
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