国際舞台へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/05 09:33 UTC 版)
学校卒業後、20歳になるとマカウはランナーになるため生れた村を出た。その2006年に行われた世界ロードランニング選手権は26位。翌2007年のラアス・アル=ハイマハーフマラソン(英語版)では59分13秒を記録して、58分53秒の世界新記録を樹立したサムエル・ワンジルに次ぐ2位。2007年の世界ロードランニング選手権と2008年の世界ハーフマラソン選手権はいずれも2位に入りケニアの団体優勝に貢献した。2008年のCPCデン・ハーグハーフマラソン(英語版)を勝利し、2009年のラアス・アル=ハイマハーフマラソンは世界歴代2位となる58分52秒を記録して優勝を飾った。 マカウは2009年4月のロッテルダムマラソンで初マラソンの舞台を踏み、2時間06分14秒を記録して4位に入った。初マラソンの記録としては、エバンス・ルト(英語版)が2003年のシカゴマラソンで記録した2時間05分50秒に次ぐ世界歴代2位の記録であった。 マカウは2010年3月のCPCデン・ハーグハーフマラソンでセカンドベストの59分52秒を記録して優勝した。4月のロッテルダムマラソンは世界歴代4位となる2時間04分48秒を記録して優勝を飾った。ロッテルダムの後、マカウはベルリンに目標を定めた。9月のベルリンマラソンはロッテルダムマラソン2位のジョフリー・ムタイと再戦、マカウはムタイをラストスパートで振り切って2時間05分08秒の記録でワールドマラソンメジャーズのポイント対象レース初勝利を飾った。この年のベルリンマラソンは降雨と霧が世界記録の更新を阻止したと言われるものになった。 2011年4月のロンドンマラソンでは中間点付近で転倒したにも関わらず走り続け、2時間05分45秒を記録して2位マーティン・レルと僅差の3位に入った。同年5月、マカウは国際マラソンロードレース協会の2010年度年間最優秀選手賞を受賞した。
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