国際興業成立と事業拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 01:38 UTC 版)
1947年(昭和22年)、現在まで続く社名「国際興業」に社名変更した。「国際」の由来は、戦前から戦後にかけての都内のタクシー事業者の統廃合の折、小佐野が関与した国際自動車(km)の社名の響きを好んで自らの会社にもつけたものとされる(ただし、国際自動車は現在、国際興業および小佐野一族とは全く関係がない)。 アメリカから中古車と農機具の輸入・販売を手がけ、在米事業の基盤を築く。1960年(昭和35年)先に買収した、大阪タクシーを源流とする大阪ハイタク界の大手である大阪交通へ逆さ合併を行い、関西にも拠点を持つことになる。 その後、山梨交通・富士屋ホテル・国民相互銀行・日本電建などを買収・傘下に収めるなどして事業を拡大。ハワイでは1963年(昭和38年)にロイヤル・ハワイアン、モアナ・サーフライダー、シェラトン・プリンセス・カイウラニといった複数の名門ホテルを取得したほか、1973年(昭和48年)には大型ホテル、シェラトン・ワイキキを買収したが、小佐野自身の資産を売却せず、さらに外為法により国外への円の持ち出しが制限されていた時期にどう買収を行ったのかは今もって不明である。 1976年(昭和51年)小佐野はロッキード事件により証人喚問され、実刑判決を受けるが、その間も着々と帝国ホテルの株を買い増し、1985年(昭和60年)には帝国ホテル会長職に就任した(2007年(平成19年)すべて売却)。 1986年(昭和61年)小佐野賢治が亡くなると弟の小佐野政邦が経営を受け継いだ。1993年(平成5年)には金丸信の東京佐川急便事件・脱税事件に関し、親密企業として東京地検により家宅捜索を受けた。1999年(平成11年)に傘下の国民銀行が不正融資により破綻。2001年(平成13年)政邦が亡くなると政邦の甥の小佐野隆正に経営が引き継がれた。
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