国際舞台への飛躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 14:42 UTC 版)
「ベニート・ステファネリィ」の記事における「国際舞台への飛躍」の解説
英語力にも長け、撮影現場では通訳としても働き、クリント・イーストウッド、リー・ヴァン・クリーフ、イーライ・ウォラック、ヘンリー・フォンダ、ジェースン・ロバーズ、チャールズ・ブロンスン、ロッド・スタイガー、ジェームズ・コバーン、ロバート・デ・ニーロなど錚々たる顔触れのの英語圏の俳優とのパイプ役も務めた。また、多国籍の現場を仕切って来た経験を買われ、ステュアート・ホイットマンやクルト・ユルゲンスも出演したジーン・ネグレスコ監督のイランと米国の合作『無敵の六人』(1970年/未ソフト化)やテレンス・ヤング監督の『アマゾネス』(1973年)やルトガー・ハウアー主演でリチャード・ドナー監督の『レディホーク』(1985年)、ヴェルナー・ヘルツォーク監督のガーナでロケが行われた『コブラ・ヴェルデ』(1987年)など国際的な大作にもスタント・コーディネーター及び脇役俳優として起用された。 アジア方面で撮影された作品にも幾本か参加している。トルコでロケが行われ、ロバート・ギンティーとフレッド・ウィリアムスンが出演した『ホワイト・ファイア/地獄の報酬』(1984年/未/ビデオ)、タイとの合作『ミッシング・ボーダー/地獄の戦場』(1982年/未/ビデオ)(クレジットなしだったが、インターネット・ムービー・データベースではスタント・コーディネーターだったとある)、フィリピンでロケが行われた『地獄のファイター/炎の脱出』(1985年/未/ビデオ/TV放映)と『バイオレンス・ハンター/黄金の謎』(1988年)では脇役出演とスタント・コーディネーターを務めた。
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