国際興業傘下で再々出発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 22:51 UTC 版)
「岩手県交通」の記事における「国際興業傘下で再々出発」の解説
1985年度には通常の状態で収支均衡となったことを機に、松尾は社長から退任することになり、1986年6月には当時の国際興業社長の小佐野政邦が社長に就任、同時に国際興業の傘下に入ることになった。 国際興業傘下に入ったことで、それまで苦慮していた資金調達が容易になった。同年には過疎路線の低コストでの維持を行なうべく早池峰バスを設立しているほか、高速バス「とわだこ号」にも参入している。1987年には高速バス「あすなろ号」にも参入、1988年7月21日からは同社初の夜行高速バスとして「らくちん号」の運行を開始した。その他にもいくつかの高速バス運行に参入し、すべてが好調だったわけではないが、経営状態の改善に寄与した。一方で、路線バスについても過疎路線を早池峰バスに置き換える一方、都市部では団地への乗り入れや車両の改善を進めた。 これらの経営改善策が功を奏し、1993年度決算では通常ベースでの単年度黒字を計上、黒字体質の事業者への変貌を遂げた。また、労使交渉が対話重視で進められた こともあり、労使関係も徐々に協調路線へと改善されることになった。
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