国際定期便への進出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:22 UTC 版)
設立当初より国内線が主軸であった。全日空は国際線への参入を計画していたが、日本航空の「第二の国際線会社が東南アジア路線に進出すると、航空協定のバランスが崩れて日本に対する批判が高まる」とする反対に意見により実現は困難を極めた。さらに1970年には「45/47体制」と呼ばれる当時の運輸省の政策により、日本航空は国際線と国内線幹線を、全日空は国内線幹線とローカル線・近距離国際線チャーターを、東亜国内航空は国内ローカル線の運航を担当し将来的には幹線に参入するという棲み分けができた。この時点で全日空の国際定期便への参入は事実上不可能となったが、一方で全日空は日本航空の許可と余剰機体の使用などの条件は付くものの、国際チャーター便を運航することが可能となり、1971年(昭和46年)に香港にチャーター便を飛ばして以降、国際線の運航実績を積み上げていった。 1978年(昭和53年)、アメリカで航空規制緩和法が成立すると各国でも航空会社の競争が始まり、1980年代には日本の45/47体制も転換の時期を迎えた。全日空は1986年(昭和61年)3月3日より国際線定期便の運航を開始。最初の路線はロッキード L-1011 トライスターの運航による成田 - グアム線だった(その後撤退)。 同年にアメリカ本土への路線として成田 - ロサンゼルス線と成田 - ワシントンDC線をボーイング747-200B型機で就航させた。翌1987年(昭和62年)は中華人民共和国への路線として成田 - 北京線と成田 - 大連線、当時イギリスの植民地であった成田 - 香港線を開設、同年10月には成田 - シドニー線を開設した(その後撤退)。1988年(昭和63年)には大韓民国への路線として成田 - ソウル(金浦)線を開設し、1989年(平成元年)には初のヨーロッパ進出となる成田 - ロンドン(ロンドン・ガトウィック空港)線を開設した。1990年(平成2年)11月には国際線のネットワーク拡張に合わせてボーイング747-400を導入した。
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