国歌の改変・改訂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 04:16 UTC 版)
中華人民共和国の国歌(「義勇軍進行曲」)文化大革命で一度変更した歌詞を元に戻した。 ロシア連邦国歌他のメロディーに変更した後、再びソビエト連邦の国歌のメロディーに新しい歌詞を付け直した。 アメリカ合衆国の国歌「星条旗 (国歌)」初代国歌は「コロンビア万歳」(ジョゼフ・ホプキンソン(英語版)作詞、フィリップ・フィリー(英語版)作曲)であった。2代国歌は「My Country, 'Tis of Thee(マイ・カントリー・ティズ・オブ・ジー)」であり、イギリス国歌と同一旋律にサミュエル・フランシス・スミス(英語版)が曲をつけた。現行の国歌「星条旗」は3代目の国歌で、米英戦争中の1814年、アメリカ人弁護士フランシス・スコット・キーが、イギリス海軍の砲撃にさらされた米軍要塞にひるがえる星条旗から「マクヘンリー砦の守り」を作詞、曲はイギリス人作曲の流行歌「天国のアナクレオンへ」をあてた。1931年、正式に国歌に選定された。 フランスの国歌「ラ・マルセイエーズ」1792年、ストラスブール市で工兵大尉ルージェ・ド・リールによって「ライン軍歌」として作詞作曲され、それをマルセイユからの義勇兵がパリで広めたものである。1795年に国歌として制定されたが、ナポレオン・ボナパルトの第一帝政のときに「門出の歌」に変更され、1814年の復古王政によって演奏中止となった。「ラ・マルセイエーズ」は七月革命後に復活したが、1852年から1870年のあいだは公共の場での歌唱が禁止された。1879年に国歌であることを再確認されたが、1992年には歌詞改変運動が起こっている。 ドイツの国歌「ドイツの歌」イギリス滞在中のフランツ・ヨーゼフ・ハイドンがイギリスの人々が国歌を口ずさみ、国家への忠誠を心に深く抱く様を目撃して感銘を受け、また、時同じくして、祖国オーストリア帝国がナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍の侵略に脅かされていたため、故郷の存続を他国から救い、人々にオーストリア人としての誇りを取り戻させ、励ますために「オーストリア国歌」制定を試み、作曲した「神よ、皇帝フランツを守り給え」(弦楽四重奏曲第77番 第2楽章)をもとにしている。これに詩をつけたのは、アウグスト・ハインリヒ・ホフマン・フォン・ファラースレーベンで1841年のことである。ヴァイマル共和国時代に正式な国歌となったが、第二次世界大戦で敗北した後、一時、演奏禁止となり、1949年のドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)成立時に3番のみを公式なものとして復活させた。
※この「国歌の改変・改訂」の解説は、「国歌」の解説の一部です。
「国歌の改変・改訂」を含む「国歌」の記事については、「国歌」の概要を参照ください。
- 国歌の改変・改訂のページへのリンク