国有化への批判と実際
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 03:04 UTC 版)
「カナディアン・ナショナル鉄道」の記事における「国有化への批判と実際」の解説
カナダにおける鉄道の政治的、経済的重要性に構わずに言えば、カナダ政府がCNRをカナダ国王の所有として1918年から1995年の民営化時まで維持するための政策に対しては、数多くの批判があった。最も痛烈な批判のいくつかは、商業的に成功したCPRから発せられた。CPRが支払った税金をCPRの競合会社の資金とすべきではない、というものである。 また、1885年から20世紀に突入するころにCNoRがプレーリーで鉄道の営業を開始するまで、CPRが不動産売買において独占的地位を占めていたのと同じように、CPRは土地の価値や埋蔵資源などの計り知れないほどの資産の受給者であり、「政府の子」であるから、CPRはこの批判をする余裕があるとする意見もある。 結果的に、CPRは人口の多い南部プレーリーで路線を展開した。一方、CNRの合併システムは、カナダ西部、オンタリオ州北部、ケベック州、経済的に落ち込んでいるマリタイム地域(ニューブランズウィック州、ノバスコシア州、プリンスエドワードアイランド州)などの遠方かつ未開発地域における、事実上の植民地鉄道であった。 CNRは、破綻した鉄道の寄せ集めであるので、最初から営業的に不利であった。しかも、大都市間や工業地帯を最短距離で結んでいるわけでもないので成長の可能性もない。こんにち、CNは産業や交通の要所から遠く離れたところに多くの支局を持っているのはそのためである。例外は、モントリオールとシカゴの間を結ぶ、旧グランド・トランク鉄道(GTR)の路線だけである。 また、CNRは、アトランティック・カナダ(マリタイム地域とニューファンドランド・ラブラドール州)におけるフェリー事業獲得や、ノーザン・アルバータ鉄道を買収・運営する際にCPRとパートナーシップを組むなどの連邦政府の政策にとって便利な道具でもあった。フェリー事業の請負は、のちにカナダ連邦に加盟する狭軌のニューファンドランド鉄道の請負も伴った。
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