国有化、そして戦火へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 21:32 UTC 版)
「アルファロメオ」の記事における「国有化、そして戦火へ」の解説
1930年、社長のニコラ・ロメオの事業の失敗から、ニコラ・ロメオ技師株式会社から自動車部門(と航空機エンジン部門)が独立し「S.A.アルファロメオ」(S.A. Alfa Romeo )になった。 1933年に世界恐慌に端を発する経営難と政治的圧力からイタリア産業復興公社(IRI)の支配下に入り、事実上国営化された。その背後には当時イタリアを支配したベニート・ムッソリーニが深く関わっていたといわれる(ミラノで政治基盤を確立したムッソリーニはアルファロメオを愛用していた)。高い技術力を持つ同社は国策によって軍需産業に組み入れられ、本業のレーシングカー、スポーツカーの製作と供に航空機用エンジンをはじめとする兵器製作にも力を注ぐことになった。著名なものとしてマッキ(現アレーニア・アエルマッキ)の単座戦闘機MC.202フォルゴーレのエンジンなどがある。 1943年、ミラノ市ポルテッロ(Portello )地区にあった本社工場が連合軍の3度にわたる空襲によって廃墟と化した。
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