国境でのにらみ合いとは? わかりやすく解説

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国境でのにらみ合い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 01:29 UTC 版)

まやかし戦争」の記事における「国境でのにらみ合い」の解説

1939年9月1日ドイツポーランド侵攻すると、9月3日フランスイギリスドイツ対し宣戦布告し、軍を動員してフランス・ドイツ国境およびフランス・ベルギー国境沿いに大規模な陸軍部隊展開した一方ドイツ陸軍は、主力ポーランド方面進撃させたため、弱体な兵力西部国境沿いに展開しているだけであった空軍数十機を有するのみで、もし英仏軍が一挙に攻勢出れば簡単にせん滅されかねなかった。実際にドイツ軍首脳部は、西部戦線防衛のために大軍配備するべきだと主張したが、アドルフ・ヒトラー総統は、英仏軍が攻撃して来る可能性皆無判断しドイツ軍主力ポーランド集中し独仏国境線戦力をわざと薄くしたのであるポーランドは約1ヶ月ドイツおよびソ連占領されるが、この後1940年5月ドイツ西方諸国侵攻するまで、フランス・ドイツ国境地帯においては英仏軍は、ヒトラー予想通りフランス軍ドイツにごく小規模な侵攻2000程度部隊)を行ない、すぐに撤退したことを除けば攻撃を行なわず、陸上戦闘生じなかった。イギリスフランスは、ドイツとポーランド開戦前ポーランド軍事協定を結び、ドイツからポーランド攻撃があった場合直ちドイツ攻撃する約束しており、ドイツ・ポーランド開戦後は対独攻撃入ったかのように宣伝していたが、実際に戦闘行動取っていなかった。ドイツ軍ポーランド侵攻作戦が行なわれていた1ヶ月ほどの間は、西部戦線において英仏軍はドイツ軍に対して圧倒的な優位にあった。ポーランド戦争が終わるとドイツ軍主力西部移したので、英仏ドイツ打ち勝つ唯一の機会失われたものの、その後両軍は国境でのにらみ合いに終始した戦闘休止状態が長引くにつれ、国境はさんで対峙する将兵たちにも戦意低下見られ双方兵士たちタバコ菓子交換し合うような光景珍しくなくなり敵前堂々と日向ぼっこをするようにもなった。戦争状態にあり、しかも国境接しているにもかかわらず戦闘生じないことから「まやかし戦争いかさま戦争)」との名称が生じたまた、開戦後間もなくイギリス国内では灯火管制敷かれたが、わずかな期間を以って解除されたほか、さらにイギリスでは議会からドイツ対す空襲行なうよう通告があったものの、チェンバレン内閣はこれに対す報復恐れ拒否した

※この「国境でのにらみ合い」の解説は、「まやかし戦争」の解説の一部です。
「国境でのにらみ合い」を含む「まやかし戦争」の記事については、「まやかし戦争」の概要を参照ください。

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