国域を肥前と肥後とする場合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 21:42 UTC 版)
肥前は筑後国の西方、肥後は筑後国の南方であり、両者の間には有明海もあり地理的には接していない。このこともあり古事記のいう肥国(建日向日豊久士比泥別)がどの範囲であるかは定かでない。ただ、肥前国・肥後国という名称の国が設置されたとき、この二国をあわせて、またはいずれか一国を指して、肥州(ひしゅう)と呼ぶことがあり、また肥前国と肥後国の両国をさす語としては、二肥(にひ)も用いられたことがあった。 肥前(長崎県、佐賀県) - 基肄郡、養父郡、三根郡、神埼郡、佐賀郡、小城郡、松浦郡、杵島郡、藤津郡、彼杵郡、高来郡 ただし、先代旧事本紀によれば西九州には、末羅国、葛津国、筑志米多国といった国々もある。 肥後(熊本県) - 玉名郡、山鹿郡、菊池郡、阿蘇郡、合志郡、山本郡、飽田郡、託麻郡、益城郡、宇土郡、八代郡、天草郡、葦北郡、球麻郡 日本書紀の景行天皇紀には阿蘇山(熊本県)と阿蘇国が現れるので、阿蘇郡周辺は阿蘇国であった可能性がある。また先代旧事本紀には葦北国(現水俣市)も現れる。
※この「国域を肥前と肥後とする場合」の解説は、「火国」の解説の一部です。
「国域を肥前と肥後とする場合」を含む「火国」の記事については、「火国」の概要を参照ください。
- 国域を肥前と肥後とする場合のページへのリンク