国公立初「観光学部」戦略
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学長として、国立大学法人化の指揮を取りながら、独自の教育・研究を目指す改革路線を掲げ、2008年(平成20年)国公立大学で初の観光学部を新設した。 背景には、2003年に小泉純一郎総理大臣(当時)が、訪日外国人旅行者(インバウンド)を倍増(2010年で1000万人)させる「観光立国」を宣言し、ビジット・ジャパン・キャンペーン本部を発足させたことがある。 小田は経営学者として「観光に携わる人材が不足する」と分析。和歌山県の熊野古道など「紀伊山地の霊場と参詣道」が2004年世界遺産に指定され、自然と歴史が再び注目を浴びる一方で、和歌山県人口100万人割れの人口減少社会を踏まえ、学長就任時から「地域社会にこたえる大学」を掲げ行政と定期的な連絡会を開き、「イメージアップを大学が率先して図る」役割を推進。大学の法人化後の基盤強化として「オンリーワン分野の構築、大学の個性化・ブランド化させる」必要も踏まえ、「他大学と同じではだめ。二番煎じ、三番煎じにならないものを目指」す戦略として観光学部を考えた、と開設の理由を産経新聞に語っている。 当初の計画では、商業施設の相次ぐ撤退で空洞化の進む和歌山市を活性化するため、観光学部の講義室・研究室を市中心部の空きビルなどに設ける方針だった。かつて大学キャンパスのあった市中心部を1980年代のように学生が行き交い、賑わいを復活させる構想として、市も基本計画の目玉事業として推進。文部科学省にも報告済みだったが、一転し大橋建一市長(当時)らが消極的となり計画が進まなくなり、現キャンパスでの開設となった。
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