問題の所在—銀の弾とソフトウェアプロジェクト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/07 01:59 UTC 版)
「銀の弾などない」の記事における「問題の所在—銀の弾とソフトウェアプロジェクト」の解説
この論文が対象とする問題の所在を説明するために、論文の序の文章を引用する。 民話の中の悪夢に登場する怪物のうちでも、狼人間ほど恐ろしいものはない。というものも、狼人間は慣れ親しんでいるものを不意に恐怖に変えてしまうからだ。だから、私たちは、この狼人間を魔法のように鎮めることができる銀の弾を探し求める。 慣れ親しんだソフトウェアプロジェクトにもこうした性質が若干あり(少なくとも非技術担当マネージャーの目から見ると)、ふだんは無害でまともなのだが、スケジュールの遅延、膨れ上がった予算、そして欠陥製品といった怪物にもなり得る。そして私たちは銀の弾、すなわちコンピュータハードウェアのコストと同じようにソフトウェアのコストも急激に小さくしてくれる特効薬を求める必死の叫び声を聞くのである。 しかし、これから十年間という範囲で眺めると、銀の弾などはどこにも見えない。技術においても、管理手法においても、それだけで十年間に生産性や信頼性と容易性での飛躍的な改善を一つでも約束できるような開発は一つとしてない。本章では、ソフトウェア問題の本質と、提案されているそれぞれの銀の弾の特性の両方を検証することによって、それがなぜ特効薬になりえないのかについて見ていくことにする。 とはいっても、懐疑主義は悲観主義とは違う。輝かしい進展は見えないが、実際のところそう決めてかかることはソフトウェアの本質からは離れている。多くの頼もしい新機軸 (革新) が着々と進められている。それらを開発、普及、利用するという苦しいが一貫した努力こそ、飛躍的な改善をもたらすはずだ。王道はない。しかし、道はある。 病気治療の第一ステップは、悪魔信仰を細菌説によって生理学的理論に置き換えることだった。そのステップこそ希望の始まりであり、すべての魔法のような解決の夢を打ち砕いた。医療従事者は、進歩は段階を追いながら多大な労力を払って遂げるもので、健康回復には持続的で根気強い看護がなされなければならないと教え込まれた。今日のソフトウェアエンジニアリングにおいても、それは変わらない。 — ブルックス、滝沢、牧野、宮澤、2002年、第16章、pp.166-167
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