すい‐きょ【推挙/吹挙】
吹挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/16 04:13 UTC 版)
吹挙(すいきょ、推挙・吹嘘)とは、歴史学においては主として他者を官職に推薦する行為を指す[1]が、中世日本では取次・紹介・訴訟への口入など、人脈や知遇に依拠した各種の上申行為を広く指した[1][2]。
平安時代に律令体制下で用いられていた貢挙・薦挙に代わって用いられるようになった[1]。中世に入ると、官職への任官や訴訟の提起には人脈や知遇に基づいて自力で道筋をつける必要があり、そのためには目的に応じてより有利な挙状(吹挙状)を得ることが重要となり[2]、吹挙の風潮は国家の中枢から在地の民衆まで浸透して、制度的慣行と化していた[1]。例えば、国司には知行国主に、僧官には僧綱にそれぞれ任料を納めて、それぞれからの吹挙の意思を記した挙状を朝廷に提出する必要があり[1]、鎌倉幕府では在地からの訴訟は地頭か本所からの挙状がなければ、これを受理しなかった[2]。
なお、薦挙や吹挙に近い意味で用いられた言葉として「選挙」が挙げられるが、これは近代になって英語において多数決投票に基づいて官職に推挙・任命を行う意味を指す「election」の日本語訳に充てられた[1]。
脚注
参考文献
- 保立道久「吹挙」(『日本史大事典 4』平凡社、1993年 ISBN 978-4-582-13104-8)
- 本郷恵子「吹挙」(『日本歴史大事典 2』小学館、2000年 ISBN 978-4-09-523002-3)
吹挙
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「日前国懸神宮と高大明神の用水相論」の記事における「吹挙」の解説
室町時代の守護には鎌倉時代に比べてより大きな権限が付与されており、任地における使節遵行もその1つであった。この使節遵行は裁許後の執行手続きで、相論の当事者が守護被官であった場合に発動される場合が多く、本相論の当事者である和佐庄内の給人もその多くは守護畠山氏の被官であったと推定されている。 本件のように所領を廻る相論においては、まず訴人が属す郡の郡代が守護所の守護代へ吹挙し、そこで守護代を始め国人などが口入、それでも解決を見なければ京都の守護へ(実際は守護家の奉行人へ)吹挙して幕府の裁判に懸けるといった手続きが執られ、本件の場合も結局は守護代から守護へと吹挙がなされ、守護家の奉行人である木沢善堯と遊佐国盛とによって守護満家に伝達され、満家を通じて幕府へも伝達されたと見られており、この際には吹挙先に何らかの工作を依頼するとともに、被官には依頼先への内通の便宜を供したものと推定されている。対する日前宮も吹挙を求めたと想像されるが、日前宮にとってはたとえ手続き上の一端を担うに過ぎないとはいえ、被官の庇護者でもある守護が裁判に介在する点に矛盾を感じ、幕府まで提訴することによって有利に事を運ぼうとしたことが読み取れる。
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