名称と概要
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ヒッタイト時代の記録にはメリド(Melid)という都市の名が登場しており、これが現在のマラティヤにつながっている。ヒッタイト語でメリドとは、この地の主産品であったハチミツを意味した。マラティヤとバッタルガーズィー(Battalgazi)との市境に近いアルスラーンテペ(Arslantepe)という集落にある遺跡がメリドの旧跡と推定されている。メリドの衰退後この地に新たな町が作られ、ローマ帝国時代にはメリテネ(Melitene)というラテン語名で知られた。 ローマ帝国から東ローマ帝国を経てオスマン帝国までの時期にかけてのメリテネ/マラティヤの市街地は、マラティヤの20km離れた隣町バッタルガーズィーにあった。しかし19世紀以降、現在のマラティヤ市街地の場所へと人口や都市機能が移転し、古くからのマラティヤの町は「エスキマラティヤ」(Eskimalatya、旧マラティヤ)と呼ばれるようになった。現在、旧マラティヤの町は8世紀のムスリム戦士シディ・バッタル・ガーズィーにちなんでバッタルガーズィーと改名されている。
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名称と概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 16:25 UTC 版)
モレアス専制公領という名称は当時の正式名称ではなく、後代の研究者によって付けられたものである。当時の公式の行政区分については不分明な点が多いが、「ペロポニソス半島」 (Πελοπόννησος) ないしは「ペロプスの半島」 (Πελόπος νήσος) という記録がある(「島」「半島」という地理的な概念が後期の東ローマ帝国に於いてはそのまま行政区分として用いられる事がしばしばあった)。 「モレアス」 (Μορέας, Μωρέας / Moreas) という言葉は13世紀以降、半島の形状が「桑の葉」(モレア、Μορέα, Μωρέα)に似ているところから名付けられたギリシア口語表現である。十字軍と共にやってきた西欧人はギリシア人が話すこの言葉の対格形「モレア」を主格と聞き違え、自らの言語に採り入れて「モレア」 (Morea) とした。西欧の文献並びにそれを採り入れた日本語文献の多くでこの名称が用いられているのは、こうした経緯によるものである。これは、「ミストラス」 (Μυζηθράς, Μυστράς / Mystras) と「ミストラ」 (Mistra) についても同様である。また上に述べたように、古代から続く名称であるペロポニソスという言葉もそのまま行政の用語として残り、二つの名称が平行して用いられる状況が生まれる事になった。 いわゆる「専制公領」 (Δεσποτάτο) と呼ばれる行政機構の基本的な特徴としては専制公 (δεσπότης) 称号を持つ皇族(皇帝の弟、年少の息子)が行政・軍事・司法の全権を以て統治に当たる形態を取っている点にある。爵位である専制公称号は終身の保有資格であり、全権行政官としての専制公の任期も基本的に終身であるが世襲ではない。
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