名古屋空港時代とは? わかりやすく解説

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名古屋空港時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 03:34 UTC 版)

名古屋飛行場」の記事における「名古屋空港時代」の解説

1952年から2005年にかけては、愛知県玄関口としての機能持ち日本国内主要空港一つであった。しかし、中部国際空港開港により、ほとんどの旅客定期便が同空港移転した1960年昭和35年4月1日 - 第二種空港指定され、名称が「名古屋空港となった1962年昭和37年8月30日 - 日本航空機製造YS-11初飛行成功1964年昭和39年4月10日 - 新ターミナルビル供用開始1966年昭和41年3月11日 - 国際定期便開設小牧 - 伊丹 - 台北 - 香港)。 1986年昭和61年7月20日 - 国内線新ターミナル完成旧ターミナル国際線専用とする。 1994年平成6年4月26日 - 中華航空エアバスA300-600R型機が着陸失敗墜落死者264名(中華航空140便墜落事故)。犠牲者数1985年昭和60年)の日航ジャンボ機墜落事故に次ぐ、日本史ワースト2位であり、国内空港起きた事故犠牲者数では日本史最悪である。 1999年平成11年4月9日 - 国際線旅客ターミナル完成2004年平成16年10月31日 - 併設されていた航空宇宙館閉館2005年平成17年2月16日 - 日本航空系の一部を除く大部分国内線と、全ての国際線旅客定期便運航終了国際線旅客ターミナル閉館国土交通省大阪航空局名古屋空港事務所による管制業務終了2005年2月16日には、この日の出最終便である20:45サイパン行きチャーター機日本航空 JL8839便を航空会社空港両関係者がペンライト持って見送り第二種空港としての幕を閉じた。なお、この飛行機折り返し中部国際空港到着1番機日本航空 JL8830便)でもあった。

※この「名古屋空港時代」の解説は、「名古屋飛行場」の解説の一部です。
「名古屋空港時代」を含む「名古屋飛行場」の記事については、「名古屋飛行場」の概要を参照ください。

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