名古屋空港時代
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1952年から2005年にかけては、愛知県の玄関口としての機能を持ち、日本国内の主要空港の一つであった。しかし、中部国際空港の開港により、ほとんどの旅客定期便が同空港に移転した。 1960年(昭和35年)4月1日 - 第二種空港に指定され、名称が「名古屋空港」となった。 1962年(昭和37年)8月30日 - 日本航空機製造YS-11が初飛行に成功。 1964年(昭和39年)4月10日 - 新ターミナルビル供用開始。 1966年(昭和41年)3月11日 - 国際定期便開設(小牧 - 伊丹 - 台北 - 香港)。 1986年(昭和61年)7月20日 - 国内線新ターミナル完成、旧ターミナルを国際線専用とする。 1994年(平成6年)4月26日 - 中華航空のエアバスA300-600R型機が着陸に失敗、墜落。死者264名(中華航空140便墜落事故)。犠牲者数は1985年(昭和60年)の日航ジャンボ機墜落事故に次ぐ、日本史上ワースト2位であり、国内の空港で起きた事故の犠牲者数では日本史上最悪である。 1999年(平成11年)4月9日 - 国際線旅客ターミナル完成。 2004年(平成16年)10月31日 - 併設されていた航空宇宙館が閉館。 2005年(平成17年)2月16日 - 日本航空系の一部を除く大部分の国内線と、全ての国際線の旅客定期便の運航を終了。国際線旅客ターミナル閉館。国土交通省大阪航空局名古屋空港事務所による管制業務を終了。 2005年2月16日には、この日の出発最終便である20:45発 サイパン行きチャーター機、日本航空 JL8839便を航空会社・空港両関係者がペンライトを持って見送り、第二種空港としての幕を閉じた。なお、この飛行機は折り返し中部国際空港到着の1番機(日本航空 JL8830便)でもあった。
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