名古屋県の義校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 04:24 UTC 版)
名古屋藩は明治維新後、藩校明倫堂を改革して「小学」を設け、庶民にも門戸を開こうとした。しかし、士族と庶民の間の意識の隔たりもあり、結局は士族子弟の学校となった。廃藩置県により名古屋県となった後の1871年(明治4年)9月、県は一般庶民の学校として民間有志による「義校」の設置を奨励した。1871年(明治4年)10月、最初の義校として第一義校(のち菅原尋常小学校などを経て現在の名古屋市立名城小学校)が設立された。 隣接する額田県でも「郷学校」設立が奨励され、1872年(明治5年)に名古屋県・額田県が合併して愛知県が成立すると、旧額田県域の「郷学校」も「義校」に改称した。愛知県が学制に基づく「小学校」の設置に乗り出した1873(明治6年)5月時点で、400校を越える義校が存在していた。 なお、岐阜県でも「義校」が設立された。
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