史跡指定と活用計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 08:53 UTC 版)
「北大東島のリン鉱山」の記事における「史跡指定と活用計画」の解説
リン鉱山の閉山後、採掘跡の多くは埋め立てられた後にサトウキビ畑等の農地に転用された。鉱山跡の農地は「リンコージ」と呼ばれ、サトウキビの生育が良いと農民から好評である。また採掘跡の中で大きな陥没地はため池にされ、廃棄物の埋め立て地となった採掘跡もある。現在まで残っている採掘跡は玉置平の一部のみであり、露天掘り跡である階段状のくぼ地や深い竪穴が残る凹凸が多い地形となっている。 鉱夫やその家族たちが生活していた社宅街南側の「大正村」、北側の「下坂村」は、閉山後急速にさびれ、まずは農協が牛の放牧地として活用した。現在、旧大正村の一部は西港公園として公園化され、下坂村であった地域はサトウキビ畑となっている。 一方、旧社宅街はかつての名残りをとどめており、民宿として使用されている元社員クラブの弐六荘や、リニューアル工事の後、2015年9月「りんこう交流館」となった元北大東島出張所のように活用されている建造物があり、建物そのものが無くなってもドロマイトの石垣は残っている部分も多い。 鉱山関連施設の多くは閉山後、使用されずに放置され、台風による被害などで破壊、損傷が進んでいるが、鉱山時代の稼働状況がわかる状態で残されているものもあり、近年、文化財として評価されるようになり保存活用の取り組みが進められるようになった。
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