古代ギリシアからの移住とは? わかりやすく解説

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古代ギリシアからの移住

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 15:20 UTC 版)

マグナ・グラエキア」の記事における「古代ギリシアからの移住」の解説

紀元前8世紀から紀元前7世紀にかけて、古代ギリシアでは人口増え飢餓・人口過密気候変動などから生活難となり、ギリシア領域外へ流出する人々現われた。また新し輸出入市場商港を外に求め経済的理由追放亡命などの政治的理由からも、ギリシア人故郷を離れて地中海沿岸各地植民始めた。東は黒海周辺から西はフランス南部イベリア半島にまで至る広範囲植民都市誕生したが、とりわけギリシアの西隣にあるイタリア半島南端およびシチリア島には多くギリシア人移住した古代ローマ人は、ギリシア人非常に多いこれらの地域のことを「マグナ・グラエキア」と呼んだマグナ・グラエキア範囲は、これを記述した古代の地理学者ごとに見解異なる。単に半島南部ターラント湾周辺アプリアおよびカラブリアのみを指す者もいれば、シチリア含める者もいる。ストラボンシチリアも含む大きな範囲マグナ・グラエキアとする立場支持者であったギリシア人は、古代ギリシア語方言ギリシア神話などの宗教ポリス中心とする都市生活など様々な文化イタリア半島持ち込んだイタリア半島独自のギリシア文化発達し先住イタリア諸民族とも相互に影響与えたイタリア持ち込まれた最も重要なギリシア文化は文字システムであり、ギリシア文字のうち西方ギリシア文字エトルリア人受け入れられエトルリア文字生まれ、さらにラテン文字生まれたマグナ・グラエキアギリシア都市豊かになり勢力増した代表的な都市には、カプエ(Kapuê, カプア)、ネアポリス(Neapolis, ナポリ)、シラクサSyracuse)、アクラガス(Akragas, アグリジェント)、スバリス(Subaris)などがある。ほかにもターレスTaras, ターラント)、ロクロイ・エピゼフィリオイ(Epizephyrioi Lokroi, ロクリ)、レギオン(Rhegion, レッジョ・ディ・カラブリア)、クロトン(Kroton, クロトーネ)、トリオイ(Thurii, トゥリ)、エレアElea, ヴェリア現在のノーヴィ・ヴェーリア周辺)、アンコン(Ankon, アンコーナ)などがある。 紀元前3世紀初頭ターレス市はマケドニアピュロス王を引き入れて共和政ローマ戦いピュロス戦争)、ヘラクレアの戦いアスクルムの戦い辛くも勝利した疲弊しベネウェントゥムの戦いではローマ軍敗れた。これらの戦い以後マグナ・グラエキア共和政ローマへと併合された。 シチリア島においても西部からカルタゴ勢力伸ばしてギリシャ人シチリア覇権争ったが、第一次ポエニ戦争カルタゴ敗北した後、シチリア島ローマ属州シキリア属州)として併合された。

※この「古代ギリシアからの移住」の解説は、「マグナ・グラエキア」の解説の一部です。
「古代ギリシアからの移住」を含む「マグナ・グラエキア」の記事については、「マグナ・グラエキア」の概要を参照ください。

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