古代の地理学者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 04:00 UTC 版)
古代のブリテン諸島の住人は紀元前5世紀に進入してきた Bruthin または Priteni と称するケルト人であった。古代の地理学者達は住民の集団の名をとりラテン語(例:Bretannae)やギリシャ語(例:Βρηττανων)のような自分達の言語に直し島々を呼んだ。 ストラボンの『地理誌』第4巻ではブリテン島を Prettanikee と綴り、Prettans または Brettans と島々を呼んだ。例えば地理2.1.18, "...οι νοτιωτατοι των Βρηττανων βορηιοτηροι τουτον ηισιν".(Brettans南部のほとんどがこれよりさらに北にある)。これは紀元10年ごろに書かれたものであるが、現存する最古の写本は6世紀のものである。 大プリニウスはラテン語によるこの島々への術語を紀元70年ごろ Naturalis Historia(プリニウスの博物誌)4.102節で用いた。Albion ipsi nomen fuit, cum Britanniae vocarentur omnes de quibus mox paulo dicemus.(『島々全体』は Britannias と呼ばれる時、アルビオン(Albion)はその名である。)次の4.103節ではグレートブリテン、アイルランドおよびその他の小さな島々といったBritanniasを構成する島々を列挙している。 プトレマイオスはアイルランド (Hibernia) はBritanniaという島々のグループに属するとし、幾分詳しい。プトレマイオスの地理学第2巻1章はヒベルニア、ブリタンニアの島と題が付けられた。
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