古代の呼称
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 04:53 UTC 版)
琵琶湖は元々、近淡海・淡海・淡海の海(あふみのうみ)・水海(すいかい)・近江の海・細波(さざなみ)・鳰の海(にほのうみ)などと呼ばれていた。 『古事記』においては、その伊邪那岐の大神は、淡海の多賀に坐すなり(上巻)や東の方追ひ廻りて近淡海国に到り(中巻)といった用字で現在の滋賀県のことを表している。同書における琵琶湖を指す記述としては中巻の .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}いざ.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}吾君(あぎ)振熊が痛手追はずは鳰鳥の阿布美能宇美(あふみのうみ)迩(に)潜(かず)きせなわ という歌謡のみが挙げられる。一方『日本書紀』には 淡海の海瀬田の済に潜(かず)く鳥目にし見えねば憤りしも という歌謡をはじめとし、淡海の海・淡海の表記が多数見られ、近淡海の用字はほとんど見られない。同書における近江の表記は、天智天皇5年に是の冬に宮都の鼠、近江に向きて移るとあるなど、奈良時代の近江遷都以降に顕著に現れる。その後の『続日本紀』の717年(養老元年)の条には行至近江国 観望淡海とあり、近江を国名、淡海を琵琶湖と使い分けていたことが示唆される。 また同時期の藤原武智麻呂の伝記には、近江は宇宙の名地[……]水海清くして広しとの記述があり、これが琵琶湖を水海と表記したものの初出である。さざなみの用字については、713年(和銅6年)の『近江風土記』逸文を引いた 近江の国の風土記引きて言わく、淡海の国は淡海を以ちて国の号と為す。故に一名を細波国と言ふ。目の前に湖上の漣(さざ)なみを向ひ観るが所以なり。 との文がある。鳰の海については、下って平安時代の『源氏物語』は「早蕨」の巻の しなてるや鳰の海に漕ぐ舟の夏帆ならぬとも逢い見し物を や『千載和歌集』の 我がそでの涙や鳰の海ならんかりにも人をみるめなければ —上西門院兵衛 また『新古今和歌集』の 鳰の海や月の光のうつろへば波の花にも秋はみえけり —藤原家隆 などがある。琵琶湖を代表する鳥である鳰(カイツブリ)は、上述のように『古事記』にも表れており、後の1965年(昭和40年)には滋賀県の県の鳥にも指定されている。
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